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その地獄から目をそらさないで! ~点字図書『ダスクランズ』

『法友文庫だより』2024年夏号から

 こんな本を紹介するなんて!とお怒りになる方がいらっしゃる かもしれません。あまりにも残酷な描写が続くので、私も何度本を閉じたことか。それでも最後まで読み通し、点字図書館員としてボランティアグループに点訳を依頼するに至ったのは、作者の並々ならぬ筆力と覚悟を感じ取ったからです。

『ダスクランズ』は、ノーベル文学賞を受賞した南アフリカ出 身の作家、J・M・クッツェーのデビュー作。「ヴェトナム計画」 と「ヤコブス・クッツェーの物語」の2編で構成されています。
「ヴェトナム計画」は、ベトナム戦争末期、プロバガンダを練る アメリカのエリート青年、ユージン・ドーンが主人公。ベトナム で撮られた残虐な写真を仕事中にこっそり見ては興奮し、狂気に 陥っていく彼の心情を描いています。
「ヤコブス・クッツェーの物語」は、18世紀にアフリカで植民 地の拡大に携わっている白人男性、ヤコブス・クッツェーの記録 を、彼の子孫が編集・翻訳した(という設定の)物語です。

 20世紀のアメリカと18世紀アフリカ。全く違う時代と国が 舞台ではありますが、2編には共通するものがあるのです。
 まずは、どちらにも作者と同じ名の「クッツェー」が登場すること。 「ヴェトナム計画」ではユージンの上司として、「ヤコブス・クッ ツェーの物語」では、主人公とその子孫として。そしてもう1つの共通点は、主人公たちが自覚しないぐらい自然に身についた差別意識を抱いていることです。

 かつてヨーロッパの人々は競って世界各地に植民地をつくっていました。神に代わって「人間」である自分たちが自然や動物を コントロールし、混沌とした世界に文明と秩序を与える。そんな理念のもと、アジアやアフリカ、アメリカを侵略し、現地人を虐 殺して土地を奪い、資源を搾取してきたのです。
 ここで問題となるのが、彼らの言う「人間」の中に有色人種が 入っていないということ。有色人種は自然や動物と同じカテゴリ ーに入れられており、白人がコントロールすべきものだと考えられていたということです
(このあたりの考え方は、西洋史学者で ある会田雄次著『アーロン収容所』に詳しく書いてあります)。

『ダスクランズ』でも、主人公たちの徹底的な差別意識が描かれているのです。それも、これ以上ないほど残酷に。
 日本もかつて、少し間違えれば欧米諸国の植民地になっていたかもしれない、危機的状況におかれました。もしかしたら、本書に出てくるアフリカ原住民のような扱いを受けていたかもしれな いと思うと、読んでいて気分が悪くなってきます。

 なぜ、作者はこんな小説を書いたのでしょうか。

 翻訳者による解説によると、作者であるクッツェーは南アフリカに進出したオランダ系植民者の子孫。学校では、南アフリカを命がけで開拓し、現地人に文明をもたらした輝かしい開拓史を教えられるのみだったといいます。  そんなクッツェーがこれまで教わってきた歴史観に疑問を投げかけ、先祖の犯した罪と向き合ったのが、本書なのです。

 本書の中に何度も登場する「クッツェー」は架空の人物ではありますが、作者の先祖、そして、「もしかしたらこうなっていたかもしれない」作者自身の姿であることが、文中から読み取ることが できます。

 彼らは高尚な理念を掲げたいっぱしの人物を気取ってはいるけ れど、実は視野の狭い、無知な人物として描かれています(特に 「ヤコブス・クッツェーの物語」ラストに注目!)。
 1970年代、 ベトナム戦争が終わったばかりであり、人種差別がまだ根強く残 っていた時代に、自分たち白人をここまで批判的に書き上げたの は、歴史的にも、文学的にも大変意義深いことであると言えるでしょう。

 2000年代になっても「ブラック・ライヴズ・マター」(黒人への暴力や構造的人種差別の撤廃を訴える国際的な運動)が広まるほど人種差別が問題となっており、昨今ではウクライナやガザ 地区での民間人虐殺が起きています。
 人間は、人間に対してそこまで非情に、残虐になれるのかと悲しくなる今日この頃。クッツ ェーのように、加害側が属するコミュニティーにも非人道的行為を批判する人がいるのは、せめてもの救いではないでしょうか。


書籍情報
『ダスクランズ』
著者:J・M・クッツェー
翻訳:くぼたのぞみ
出版:人文書院
ジャンル:文学


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