『マトリックス4』を観て実感する、1〜3作目の凄さ
「『マトリックス4』 を劇場でみなくてよかった〜」
それが、NETFLIXで『マトリックス4』観たあとの素直な感想です。
公開された時、劇場でみそびれてしまっていたので、とても楽しみにしていた作品でしたが、ぼくの理解力が低いのか、知識が足らないのか、ほとんど楽しめませんでした。
4作目を通して浮き彫りになったのが、あらためて感じる「1作目の衝撃」です。
(※若干ネタバレを含みます)
1〜3作目は何がすごかったのか
①マシーン対人間の圧倒的な緊張感
1〜3作目において、人類(マシーンの電池になっていない人たち)は、滅亡の危機にさらされています。
彼らの暮らすザイオンは常に滅亡の危機にさらされており、その現状を打破するために「救世主」という存在が必要でした。
4作目では、人類は「IO」という都市でマシーンたちと共存し、ザイオンよりも豊かな生活をすごしていました。
「滅亡の危機」への緊張感は、1〜3作目よりは低く、トリニティー奪還により、マシーン側の怒りをかい、「IO」が滅亡するのではないかとナイオビが心配している程度。
②人類を救うという宿命を背負ったネオ
1〜3作目において、主人公のネオは、人類を救うという使命を持っていました。
物語の中盤で、マトリックスの設計者から自信の秘密「救世主プログラム」を明かされ、「人類かトリニティーか」という選択を迫られるシーンがあるのですが、彼はトリニティーを選びました。
ここでは一旦「人類を救う」という選択肢を放棄しているとも思えますが、「人類」を選ぶと、ザイオンで暮らす人の数を減らされ、人類は1からスタートをしなければいけませんでした。
しかし物語の終盤、マシーンも手を焼いていたイレギュラーの「スミス」を倒すことを条件に、ザイオンの人たちの命をマシーン側に保証させることに成功。
そして、見事にスミスを撃破し、マシーンと人間の戦争は終わりました。
見方をかえれば、トリニティーを選んだことによって、結果的に人類を救ったことになります。
対して、4作目のネオには使命らしく使命がなく、ただトリニティーが生きているのであれば助けたいという願いだけ。
③悲劇的な恋
1作目から主人公のネオと、ヒロインのトリニティーは恋におち、二人は関係を深めていくのですが、3作目の終盤にトリニティーはあっけなく死んでしまいます。
4作目ではトリニティーはマシーンの手によって復活しており、そのトリニティーを奪還することが大きな流れ。
しかし、4作目でのネオとトリニティーの2人の再会も、3作目の「トリニティーの死」を超える感情的なゆさぶりを与えることはできていませんでした。
ギリシャ文明から延々とつづく「悲劇の物語」に人は心はやはり動かされるようです。
おわりに
名作というのは色あせず、まだまだ楽しめる「マトリックス」。
『マトリックス』の元ネタの一冊である、フランスの思想家・ボードリヤールの『シミュラークルとシミュレーション 』を買ったので、じっくり読んでいきたいと思います。