老子道徳経と中医学的身体観七十五
副題 貪損
中医学的身体観としては、
身体と言う道から外れないように、心を鎮めて有意義に使わなければ容易に転化(怪我、病となる)する事。
生きている間は、心(神、魂、魄、意、志)は身体と言う型の中で動いていく事で十全の働きを示す。
鳳凰堂流解釈
現代の有様と何千年も前が同じ状況だという事は人は過去に学ばない、或いはヒトに成れていない人がうえになりがち、上になると道理を外れ、型なしとなる事を示しているように感じる。
呉々もこの事を忘れず道を歩みたいもの。
鳳凰堂流意訳
人が飢えるのは、政府が税を取り過ぎるからだ。だから民は飢えに苦しむ。
民を治めるのが難しいのは、すべて政府の行う政治からきている。
民が自分の生命も省みず、抵抗するのは政府が自分の生活を豊かにする事ばかり考えているからだ。
だから民は自分の命を捨てても抵抗する。
為政者としては、自分の生活を重んじない人の方が、自分の生活を重んじ過ぎる人よりはるかに賢明だ
直訳
民の飢うるは、その上(かみ)の税を食はむことの多きをもってなり。
ここをもって飢う。
民の治め難きは、その上のなすことあるをもってなり。
ここをもって治め難し。
民の死を軽んずるは、その上の生を求むることの厚きをもってなり。
ここをもって死を軽んず。
それただ生をもってなすことなき者は、これ生を貴ぶより賢(まさ)る。
原文
民之飢、以其上食税之多。是以飢。民之難治、以其上之有爲。是以難治。民之輕死、以其上求生之厚。是以輕死。夫唯無以生爲者、是賢於貴生。
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