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老子道徳経と中医学的身体観七十八


副題  任信


中医学的身体観としては、

三調合一の前に、調身、調息、調心があり、

調身から始め、調息を合わせながら徐々に調心を感じれば、物質主体の観点や価値観は外から作られたものであり、気、自身の生き様主体の観点や価値観が大切な事が分かるが、

その視点のない人からは全く理解ができないものである。

鳳凰堂流解釈

物としての陰陽と質としての陰陽は往々にして転化する。

物に惑わされる事数万年。その中で、惑わされずに見据える事ができても、又濁流に流されてきた。

清貧の思想まではいかずとも、自分なりの本質を捉える目を養って行く事が、人として熟成していく道の1つだと考える。

鳳凰堂流意訳

世の中には水より柔軟なものは無いが、堅く強いものを攻撃する力で水に勝るものが無いのは、これに変わるものが無いからだ。

弱さが強さひ勝ち、柔らかさが堅さに勝つ事は、世の中の誰もが知っているが、実行できるものはいない。  

従って『聖人』は次のように答える。『身を低くし、国中の屈辱を引きうけてこそ天下の王者といえる』と。  

正しい言葉は常識に反しているように見える。

直訳
天下に水よりは柔弱なるはなし。而も堅強を攻むることこれによく勝るものなし。

そのもってこれを易(か)うるなければなり。

弱の強に勝ち、柔の剛に勝つは、天下知らざるものなきも、よく行なうものなし。

故に聖人云う、「国の垢(はじ)を受くる、これを社稷(しゃしょく)の主と謂い、国の不祥を受くる、これを天下の王となす」と。正言は反のごとし。


原文
天下莫柔弱於水。而攻堅強者莫之能勝。其無以易之。弱之勝強、柔之勝剛、天下莫不知、莫能行。故聖人云、受國之垢、是謂社稷主、受國不祥、是謂天下王。正言若反。

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