限られた私立学校法人のみに与えられたアドバンテージ。長期的な一貫教育をどう捉え、どう活かすのか。
小中高大、場合によっては幼稚園や大学院までを含めた長期的な一貫教育が行えるというのは、限られた私立学校法人にしかできない大きな強みです。学校法人聖学院は、この長期的な一貫教育を伝える新たな取り組みをはじめたようです。聖学院のリリースを見てあらためて思ったのですが、一貫教育の価値をどうアピールするのかって、実はこの先けっこう大事になってくるのかもしれませんね。
組織ごとに異なる一貫教育の価値をどこでどう伝えるか
聖学院の取り組みは、法人サイトに一貫教育ページを新たに増設した、というもの。「一貫教育の内容の可視化」は、同学院の広報強化ポイントの一つなのだとか。では、どんなページなのかとのぞいてみたところ、総合学院としての強みを淡々と説明するもので、アピールするというよりは、説明する、というスタンスに近いように思えました。
詳細情報はアコーディオン(クリックすると内容が開閉して見える仕組み)に隠れており、それを開けつつ内容を見てみると、なかには尖ってるコンテンツもありました。目にとまったのは「& Talk~」と「Collaboration~」という2種類のコンテンツです。どちらも対談ないし鼎談の記事で、法人内の異なる組織(たとえば大学と中学)の教員、職員、学生などが、特定のテーマについて語り合っています。聖学院と関わりのない私が読むと、めっちゃおもしろい!とはならないのですが、関係者の想いがじんわり伝わってきます。また、組織を越えて語り合うこと自体が、インナーコミュニケーションの一環となり、一貫教育の活性化につながっているようにも感じました。
一方、掲載場所が法人サイトなのは、どういう意図なのだろうと少し気にもなりました。素朴なことをいってしまえば、法人サイトを見にくるのは関係者がほとんどで、プロモーション(受験生獲得)にはまず使えません。法人全体に関わる取り組みなので、法人サイトに載せるというのは位置づけとしては適切ですが、効果や目的から考えると検討の余地がありそうです。
ちなみに一貫教育のメリットは、幼>小>中>高>大>大学院の順に大きいように思い、また組織ごとに押し出すべきポイントも変わってくると思います。たとえば、幼、小では安心できる学習環境(≒裕福な家庭の子どもが通う環境)が大きな魅力になり、中、高は受験がないことによる独自教育、大学になると一貫教育を受けた優秀な人材(在学生・卒業生)が、学風や教育レベルを表現するうえで重宝されるようになるのかなと感じます。法人としての一貫教育の意義と、広報材料としての価値、この2つを意識して発信することで、より魅力的な押し出し方ができるように思いました。
一貫教育は、いま求められる大学教育の解なのかもしれない
幼~高に比べて、大学は一貫教育のメリットを押し出しにくいと書きましたが、受験生に対してはそうだと思うのですが、社会に対してはまた違うのかもしれません。現在、大学に求められている教育の在り方に対して真面目に応えようとしたとき、その一つの解は一貫教育だと思うからです。
近年、大学では「学修者本位の教育」への転換が叫ばれており、教育の価値を「教える側」ではなく「学ぶ側」で捉えることを要求されています。「学ぶ側」で教育を捉えるというのは、ものすごく極端に言ってしまえば「結果がすべて」だと思うんですね。大学が提供したものか否かとか、大学に入るまでに下地があったかどうかとか、そういうのは一切関係ない。ちゃんと学べた(と感じられた)のであれば、それは教育として成功、そうでない(と感じられた)のであれば、それは失敗ということになります。ちなみに一貫教育とはまったく異なるアプローチなのですが、「学修者本位の教育」に関わるものとして、つい先日、成蹊大学の取り組みをnoteで取り上げていますので、こちらもぜひご覧ください。
この「学ぶ側」視点というのは、ぱっと見そりゃそうだと思うのですが、よく考えるとけっこうな無茶振りです。勉強の習慣であったり、ものごとに対しての姿勢であったり、そういったここまでくるまでに習得しておかないといけないものが身についていたか否かは、大学教育を評価するうえで加味されないわけです。それを見定めるのが入試でしょ?と言われそうですが、限られた時間と評価方法で見極められるかというと限界があります。また、学生が学んですぐ、その教育が役立ったと感じるものもあれば、時間が経ってから気づくものもあります。学ぶ側の成果と主観を結びつけるのであれば、学びとは何か?について、すり合わせておく(共通認識をもっておく)必要もあるのではないでしょうか。
こういった状況を考えたうえで、あらためて一貫教育を見てみると、最初から、なおかつ長期で、子どもたちの教育に携われるというのは、ものすごく大きなメリットなように思います。長期的な視野に立って、必要なことを体系的かつ段階的に教えられますし、うまくいかなかったときにリカバリーできるチャンスも多い。学びとは何か?について共通認識や相互理解を育むことも、比較的容易でしょう。
「学修者本位の教育」を4年間でどこまでできるかは、正直よくわからいないのですが、少なくとも「教える側」の視点優位な教育に比べてずっと時間がかかることは確かです。聖学院の一貫教育の伝え方は、「学修者本位の教育」と直接的に絡めて伝えているわけではないものの、同法人の”学びへの向き合い方”を象徴的に表現しています。ここにもう少しアピール色を足して、聖学院の一貫教育が、”いま、社会に求められている教育の在り方の解でもある”というメッセージを出してもいいのかもしれません。何にしろ長期的な一貫教育が実践できるというのは、限られた私立学校法人のみに与えられた大きなアドバンテージです。これをどう上手く活かしていくかは、戦略的に考えていくべきテーマなのかなと、聖学院の取り組みを見て感じました。