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スマホもカメラも持たずに街へ出た

残り2%。この部屋のコンセントはなぜかベットの頭側でなく、足元側に設置されている。さすると元来怠惰で、また地元の謎のじいさんに勧められたウォッカを昨晩口にした私である。そんな私が夜の内に体を180度回転させてスマホに充電コードを差し込むなんてするはずがなかった。

ウズベキスタンのヒヴァは日本人の私からすれば嘘みたいな街だ。ヒヴァ・ハン国の首都だったというこの街は周囲を城壁に囲まれ、そこに迷路のように道が入り組む。そして世界遺産でもあるこの古都は多数の土産物屋が軒を連ねていた。スザニと呼ばれるこれまでに見たこともない柄の絨毯やクッションカバーが無数に通りを埋める光景はもはや嘘を通り越して魔法のように思えた。

ヒヴァ滞在1日目 通りで売られるスザニ

ウズベキスタンもその舞台なのかは定かではないが、少なくとも近国イランないしイラク出身であるアラジン「見せてあげよう、輝く世界」とジャスミンを魔法の絨毯に誘ったらしい。無論ジャスミンではない私からしても、この街はア・ホール・ニュー・ワールドすなわち全く新しい世界に思えた。

滞在1日目 ヒヴァの街並み

さて、ランプの魔人が現れてスマホの充電を100%にしてくれるわけもなく、結局はどうしようもないので、とりあえず朝食会場へ向かうことにする。朝食を食べている間に、ある程度は充電できるだろう。
滞在二日目の今日も、おそらく朝食は昨日とほぼ同じメニューだ。そう思うと、この旅でずっと首からぶら下げている一眼レフもスマホと一緒に一旦部屋に置いていくことにした。

案の定、美味ではあるが昨日と全く同じ献立の朝食を口に運び、コーヒーを飲み終える。そして毎日の儀式かのように机の上に置いたスマホをポケットへ、そしてカメラを首に回そうとした。

が、もちろんそこには何もない。ただなぜか解放感があった。

カメラを持っていることで、この旅では何度も「写真を撮ってくれ」と声が掛かった。なんならサマルカンドで出会ったカザフスタンの夫婦からは「ウズベク衣装を着るからカメラマンをしてくれ」とまで頼まれた。ファインダーを覗くのが楽しみで仕方ない。

サマルカンド・レギスタン広場にて

スマホもそうだ。写真を撮ってくれというだけでなく、なぜか何度も一緒に記念撮影を打診された。そんなときに一眼よりも、自身のスマホを差し出し「俺のスマホでも一緒に取ってくれ」と身振り手振りで伝えると、この国の人は快くシャッターを切ってくれる。そんな写真をあとでゆっくり見返すのが嬉しくてたまらない。

彼らのパパに突然記念撮影を打診された場面

にも関わらず、私は今、解放されている。そんな気分になっているのが不思議で仕方ないのだ。この解放感の理由を確かめるために、私は自室にスマホとカメラを取りに戻らず、少し辺りを散策してみることにした。といっても、ここらはスザニも含め、昨日私が沢山の写真を収めた場所だ。 

スザニ屋が絨毯のほこりを払う。昨日は耳に届いていなかったパンと乾いた音がどこか気持ちい。ただカメラもスマホもない今、このような日常を写真として記録に残す術はない。
こんな裏道があったのか。細く長く伸びる路地と飛び出す子ども。カメラを握ろうとした手はもちろん空を切った。

写真を撮る。そんな行為によって、私は何かを見落としているような気がし始めた。

私の世界はファインダーによって、鼓膜を失う。私は昨日、きっと耳に届いていたであろうパンという音に気づけなかった。
私の世界はファインダーによって区画整理されていく。私がファインダーの外で追いやったであろう路地は今、私を皮肉るかのように私の目の前にある。

無論、写真によってこそ生まれる素晴らしい時間の存在は自覚しているつもりだ。それは先に私自身が示した通りでもあるし、写真があるからこそ、この記事の価値も大きなっていることだろう。

それでも写真に囚われすぎていたという自覚すなわち写真からの解放感によって、私が自己批判的にならざるを得ないのもまたとない事実なのだ。

今日カメラとスマホを置いて見つめ直したヒヴァの街は、昨日のそれとはやはり違う。そのとき、ヒヴァという魔法のようなア・ホール・ニュー・ワールドを捉えようとしていたのは、ファインダーではなく、私の瞳だった。

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