能登がカラダに染み込んだ日|オーベルジュ『茶寮杣道』
そこは住所非公開、能登の秘境でした。
予約した者だけがたどり着けるというだけでドキドキしたし、なんなら住所を教えていただいてナビに入れても出てこない。最終的には「左に大きなケヤキの木が見えたら坂道を上がってください」というなんともアナログな方法に、心底わくわくしました。
獣道を車でぎゅいんと上がった先に「茶寮杣道」は在りました。
はじめに
杣道での滞在は、ここでしかできない体験の真髄のように感じました。初めて滞在中にSNSを更新しなかったし、ストーリーズにも載せなかった宿。映えに擦られたくないし、消費も絶対されたくない。そのくらいここでの1泊2日を大切にしたいと感じられた宿でした。
その土地ならではの体験に興味のある方、何より杣道の魅力を一緒に感じてくださる方にお読みいただけたら嬉しいです。
塗師 赤木明登氏
古い2階建ての日本家屋。
1階部分は現在改装中で、正式オープンは3月ごろとのこと。輪島塗の塗師(ぬし)、赤木明登さんの工房に来られたご友人を迎えるためのゲストハウスとして使用していたところを、オーベルジュとしてリニューアルするそうです。今回はそのプレオープン期間にお邪魔しました。
赤木さんは、岡山県出身で輪島塗の塗師(ぬし)。大学卒業後は家庭画報の編集者をされていたそう。その後塗師へ転身し、1994年に独立。有限会社ぬりものを立ち上げ、今は生活漆器を主に作成されています。
恥ずかしながら、今回の滞在を機に赤木さんを知ったのですが、知れば知るほど、魅力あふれる方なのだと感じることができました。残念ながら今回はご本人にはお会いできませんでしたが、いつか必ずお会いして、ここでの滞在体験を直接お伝えしたい!と心に決めました。
何より、今回アテンドしてくださった料理人の北崎さんと佐野さんも、赤木さんに魅せられ惹き寄せられた宝物みたいな方でした。
空間
玄関を入ると土間があり、どこか懐かしい感覚がしました。土間の左は炊事場、右に進むとラウンジにつながっています。
ここは元々、赤木さんが書斎として使用していたスペースのようです。中村好文さんの設計で、天井まで届く壁一面の大きな本棚は圧巻です。各棚はそれぞれなんとなくジャンル分けされているそう。「好きなのを読んで、読み終わったら積み上げておいてください」というゆるい感じも好き。
そしてこの床面、なんと全面漆貼り。赤木さんが一枚一枚手で仕上げたそうです。思わず裸足になって歩きました。感触がとても滑らかで驚きます。
螺旋階段を上がると、お部屋が2つとお食事どころがひとつ、そして共有キッチンがありました。
家具は、赤木さんが気に入った北欧ビンテージを集めておいているのだとか。リネン類はホテルライクではなく、奥様のこだわりでやわらかな肌触りのものでした。屋根裏部屋のこじんまりと落ち着ける空間のような居心地の良さ。窓の外の景色はまるで絵画のようです。ずっとここにいられる…
バスタブはなんと真っ黒な漆塗り。つるんとした触り心地で、まるで卵の中に入っているような気分になりました。足元も、漆の床のおかげで冷たくなく快適に入ることができました。
光りの道
お部屋を堪能していると「夕日を見にいきませんか」と料理人のお二人に誘われました。こんな山の中から夕日が見えるの?と不思議に思いましたが、能登は海も山も車で15分圏内なのです。北崎さんの運転する車で海岸まで向かった先で、私は人生で一番の夕日を見ることになりました。
このスポットは誰も人がおらず、ただただ夕日が海に落ちていく瞬間を贅沢に過ごしました。日本海は荒れやすいとよく聞きますが、この日は海面が非常に穏やかで、太陽から延びる光がこちらまで届きます。ここを渡っていけば太陽に届くのではと思ってしまうほど。
「私たちが仕事の手を止めて、お客様と一緒に見に来たいと思ってしまうほど、ここの夕日は美しいんです」と北崎さんはおっしゃいました。
元々は、赤木さんがよくここに見に来ていて、お客さまにも見せてあげたいという思いで、こうして連れてきてくださっているそうです。
夕日、本当はこの写真の色とは全く違うんです。目で見ている色とは全然違う。写真に収めることが陳腐に感じてしまうほど。これを眺めている間はずっと無心だったように思います。沈む瞬間、最後に強く光ってスッと消えて少し肌寒くなったけど、水平線上に残っている光のおかげでまだ気持ちはあったかかったです。
漆の匙
料理人の北崎裕さんは、里山十帖の全店の総料理長を務めた方です。そして佐野さんが運んできてくださるコーススタイル。
お料理は1杯の湧水から始まりました。
そしてここでのお料理は、人間の食の進化を再現しています。木の実や植物の採取に始まり、その後はお米や野菜の栽培して食べる文化へ。最終的には家畜を飼育して戴くという発展を追いかけるように全10品で構成されています。そしてその全てにお酒のペアリングを出してくださいます。日本酒やワインなど、違う種類のものをたくさん頂いたのに、体が気持ち悪くならず、むしろお料理とマッチした最高の体験でした。
出てくる全てのお料理には込められた意味があり、器はもちろん赤木さんの作品を含め、さまざまな作家さんのものがお料理を引き立てていました。一品運んでいらっしゃるたびに、佐野さんがストーリーを伝えてくれます。その全てをここに書くことは控えますが、一番心に残ったお料理を一つだけ紹介させてください。
能登の塩と長芋だけを使用したお粥です。そしてもちろん器と匙は赤木さん作。なんとこの漆の匙を使うためだけに考案されたお料理なのです。
木や金属などの匙で何かを食べた時、口から抜くときに少し違和感を感じたことはありませんか。ざらっとしたようなもったりしたような。この匙はそれを感じさせないようななんとも滑らかな口あたりで驚きました。
その匙の滑らかさを表現するには、少しとろみのあるお粥が一番だということなのだそうです。
また、ご飯物は通常、〆のお料理として位置付けられていますがここでは敢えてコースの真ん中に配置してあります。後ろの方に持ってくると折角の美味しいお米と、匙の使い心地を、お腹いっぱいで楽しんでもらえない可能性があるからだそうです。
そしてこのお椀、片手に持つには少し大きく、両手で持つように作られており、赤木さんの器の特徴でもありますが高台が少し高めに設計されているんです。それは、「捧げ持つための形」だからなのだそうです。日本の美意識の中心にあるものは「感謝と祈り」だと赤木さんはおっしゃっていて、まさに「いただきます」と自然(=神様)に伝えるためなのだそうです。
実際にここのお料理は全てつながっています。能登に降った雨が、珪藻土を豊富に含んだ土に染み込み何万年もかけて濾過され、海に出る。またその水で育った命を頂く、という具合に。
全てのお料理が終わった後、北崎さんと佐野さんと座ってお話しできる機会がありました。「私は何にもしてないんですよ」と控えめにおっしゃる北崎さんがとても印象的でしたが、その日の朝に自ら山に入って木の実を拾ってきたり、キノコを採ったり、しっかりと自然からの声を聞いた調理をしてらっしゃる。それで何もしていないだなんてカッコ良すぎました。
また、一品一品運んでくださる佐野さんの言葉はどれも、能登と杣道、器が好きで好きでたまらないという感情が現れていました。料理とゲストをつなぐ完全なストーリーテラー。佐野さんがいたからこそ、わたしたちの体験は特別なものになったと感じます。自分の仕事に誇りを持ってプロダクトを提供すること、込められた思いや受け継いだ歴史などを自分の中で噛み砕き、ゲストへお渡しする大切さに改めて気づかされました。
126行程の手仕事
チェックアウトは時間が決まっていないので、出る時に教えてくださいとのこと。決まったチェックインの工程もなかったので、これはこれで居心地の良さにつながりました。
さて、2日は工房見学です。赤木さんの作品が実際に作られているところをお見せいただけるとのことで飛び上がって喜びました。
宿から車で10分ほどのこれまた山奥にその古屋は建っていました。
工房の周りには漆の木がたくさん生えていて、掻いて漆の樹液を採った痕なんかも見かけました。中ではお弟子さんたちが黙々と作業をされていて、お忙しい中案内と説明をしていただきました。ここは圏外で、携帯の電波は入りません。自然とデジタルデトックスになりますね。
中の様子を写真に収めたかったのですが、とても撮っていいですかなんて聞けませんでした。手元への集中を切らしてしまったらどうしようという気持ちが大きかったからです。
それでも案内してくれた女性のスタッフさんをはじめ、皆様とてもにこやかに迎えてくださって、職人さんというと硬くて怖いイメージが覆りましたしいろいろなことを教えてくださいました。
能登は地殻変動で隆起した土地で、豊富な珪藻土に恵まれています。珪藻土には小さな空気の穴がたくさん空いているので、保温性、保冷性が保たれやすいのだそうです。お風呂のバスタブに使用されていたのも納得。
そして輪島塗は分業制。一般に「輪島六職」と呼ばれるのは椀木地、指物木地、曲物木地、塗師[ぬし]、沈金、蒔絵の六職。それぞれの伝統や技術を廃さないために、分業を続けています。その中でも赤木さんは塗師。この工房の中だけでも約126の工程が発生しているのだとか。
昨日使った漆器が、こんなふうにたくさんの方の手を渡って命を吹き込まれているのだということを目の前で見ることができたのは光栄なことでした。あの例の黒い匙を拝見した時にはなんだかドキドキしました。
東京ではよく展示をしているそうなので、行ってみたい!いつか赤木さんの漆器をお迎えしたいと強く思います。
さいごに
私自身、30歳が近づいてきて、何事に対してもひとつひとつ大切にしたいと思うようになりました。食器や服なども長く使えるいいものをという思考に移り変わっている気がします。
そして個人的な話になりますが、旅館をしていた祖母の家が老朽化に伴い、5年以内にその建物の行く末を決めなくてはいけないというタイミングでここに行けたことがとても大きかった。
そんな中で出会えた杣道での体験は、まさにこの土地でしかできないことでした。能登という土地にルーツがあるわけではなかったのに、この1泊2日でここが大切な場所になったような気がします。感じたことをお世話になったスタッフのみまさまにお伝えしたいと素直に思い初めて、客として泊まりに行った宿に手紙を書きました。
追伸
香林居のラウンジに、赤木さんの本が!意外と近くにあったんですね😊