Episode 786 「ガワ」だけ受け入れてしまうのです。
10月も半ば過ぎ、今年も「ハロウィン」の季節です。
10/31がハロウィンの当日、それに向けた「お祭りムード」が日本でも日常になって、もうしばらくが経ちます。
「ハロウィン」って、キリスト教系の行事なのだと思っていたのですが、実はそうではないのですね。
Wikipediaで「ハロウィン」を調べると…
…とあり、元々はアメリカ・カナダでのアイルランド系移民による「お祭り/風習」らしく、それがマスメディアの仕掛けにより普及した…が事実っぽいようです。
ハロウィンが伝統的なキリスト教系のお祝いであろうが、それが意図的に作られて定着したイベントであろうが、新しい概念を積極的に取り入れることに長けた日本的な「和風無宗教(≒感覚的神仏習合)」の世界では、どっちでも良いのですけれどね。
以前にもお話したことがあるのですが、私は「日本人は無宗教」なのではなく、日本神道を基本としたアニミズム的宗教観が根底にあり、万物に神々が宿る「八百万の神」のイメージから「モノを粗末にせず大切にする思想」が根付き、生活に溶け込んでいるからこそ無宗教に見えるのだと理解しています。
神仏習合は基本的に「日本神道と仏教の融合」を指すのですが、単純に対等合併なイメージで両者が共存しているのではなく、仏像などの仏教要素のあるモノにも神が宿るイメージで両者の共存があるのだと思えば理解しやすいように思います。
つまり「八百万の神」のひとつとして菩薩や如来が存在している…と。
そうした時に、キリスト教な教えや偶像やイベントなどに関しても、仏教的なそれと同じように日本神道のベースの上に置かれる融合が、意図せずして行われるのだと考えます。
一応「仏教徒」とされる私…実家の「菩提寺と檀家」の関係で、宗派は浄土真宗ですが、ハッキリ言って「浄土真宗の教え」が仏教のどのようなモノか、あまり良く理解できていません。
逆に「まぁ何となく、先祖や仏様を大切にすることが求められる」という曖昧な意識を手繰れば、その根底には「万物に神が宿る」という神道的アニミズムが透けて見えるワケで、そこにあるのは仏教的な経典(教え)の重要性よりも、神道的なアニミズムの優位性なのですよね。
この「神道的なアニミズムの優位性」の理解こそが、日本文化を理解するカギになる…と私は思っているのです。
「自閉文化を語る会」でお世話になっている村中直人(@naoto_muranaka)先生のこのポストですが…。
なぜ先生が「ニューロダイバーシティ人材という言葉を、『発達障害者』もしくは『ニューロマイノリティ(orニューロダイバージェント)』の意味で使用する用法を阻止したい」か…と言えば、その用法が誤用だからです。
では何故、このような誤用が起きてしまうのか…ですが。
恐らく「万物に神が宿るアニミズム思考」がベースにあると、新しい概念を持ち込むときに、「それがどういう概念か、私たちの生活に相容れることが可能なモノか」という検証が為されずに受入れが先になってしまうのだということなのでしょう。
受け入れる前に検証して、受け入れの可否を判断をするのではなく、受け入れた後に「どうやって私たちが理解できるように解釈するか」という取り込める形に修正することが起こるワケ。
世界史的にアニミズム信仰が次第に廃れていく中で、日本が脈々と神道的アニミズム信仰を現代に伝える理由は何か…とした時に、受けいれた新しい概念を自らの生活に合うように変質させる技術を、文化として持っていたと考えると辻褄が合うのです。
仏教はよく知らんのだけれど、念仏を唱えて仏様を大切にすることは大切だし、キリスト教はよく知らんのだけれど、クリスマスはキリスト様の誕生日(正式にはキリストの降誕を記念する日)としてお祝いする大切な日なんだよね。
それぞれ仏教やキリスト教を受け入れているように見えて、そういうモノ/コトがあることは受け入れて形だけ一緒にやっておこう、知らんけど…と言うことではないかと。
そしてその中身は、「八百万の神々」を基本とする神道的アニミズム信仰の堅持なのですよね。
自らの生活を崩す新たなモノを、受け入れているように見せかけて撥ね除けるしたたかさ…でしょうかね。
このあたりの日本文化の特徴を考えた時、新たな言葉を使って新しい概念を示すことは、新しい概念の変質を招くように私は思うのです。
日本文化は Cool Japan に代表される独特な芸術文化的側面がある一方で、長く日本を独立国家として守ってきた保守的な一面もあり、それが誤用が罷り通りやすい文化構造を作っているとも思うのです。
ですから、新しい概念を持ち込むときに、「誤用は起こるもの」を大前提に、その新しい概念の丁寧な説明が必要なのだと感じます。
保守が強く働く文化構造を意識した発信…というのは、もう少し意識された方が良いのかもしれないと、そんなことを思うのです。