息子の少年野球で、未熟者の私が学んだこと⑮


主な登場人物はこちらから。

餅つきが終わった頃には、退団する決意をしていた。
練習のない平日でも、常に週末の野球について考えてしまい、家中が負のオーラに包まれていた。
そんな私を見て長男が言った。
「野球できるならどこでもいいよ」
私のせいで野球を諦めさせて申し訳ないという気持ちでいっぱいだったが、その時はホッとした気持ちの方が強かったと思う。

まず辞めたい旨を役員の二人に話した。
すると、揃って家に来た。
同じ学区で今後長い付き合いになることを考え、この時は文句ひとつ言わず、「下の子の面倒が大変」と、当たり障りのない内容で押し通した。
(職場もそうだが、辞める時って、それまでの感情がなかったことのように何もかもどうでもいい気持ちになったりしませんか?熱くなるのは、まだそこに留まって、どうにかしたいって気持ちがある時だけ)

次に、当番の日にヘッドコーチに話した。
ここが誤算だった。
「まだ入って数ヵ月で辞めるなんて何かある」「改善できることは改善したい」と、とても温かく聞き上手なこの方に、思わず口が滑って思いの丈をぶつけてしまったのだ。
私の話しを聞いた上で、指導者会議で話し合うと言ってくれた。

翌日、また当番の日だった。
練習前に監督とヘッドコーチと話した。
二人に辞めないよう、引き留められた。
「お茶当番なんて、指導者は自分で用意してくるから必要ない」「おにぎりも自分で用意できる」
「お母さんは体調悪かったら当分休んで」と気遣ってもらえて、
低学年自転車禁止については「家の近くまで迎えに行ってあげるよ」とまで言ってくれた。
もう辞めると決意していたので、温かい言葉に心が揺れ、泣いてしまった。
子ども達が何事かとざわついていた。

辞めることを考え直そうかな、と思った。
この時までは。

練習が始まって、由樹が遅れて当番に来た。
泣き顔の私を見て不思議そうにしていたので、辞めようと思っていたこと、不満に思っていたことを話し、今監督達に引き留められたところだと説明した。
すると、「それって、うちのこと?」と、一気に顔つきが変わった。
どうやら私が不公平だと思っていることを全て由樹の家のことだと、更に優遇されて当然だと思っていたらしい。
とてもわかりやすい態度と攻撃的な言葉を浴びせられて呆気に取られた。
我が家の次男坊は新生児仮死で生まれて少し大変だったのだが、そのことについて引き出し、
「いいじゃん、助かったんだから」
自分の娘について、
「はぁ、〇〇も元気だったらピアノ習ったりしたのかなー」
チームメイトの息子について、
「〇〇(息子)は希望の星なの!だからお医者さんになって〇〇(娘)を助けてほしいの!!」
「こんなお月謝(団費)で見てくれるとこないじゃん?この前コーチに注意されて泣いてたんだけど、怒られるってことは期待されてるってことでしょ」
チームについて、
「お茶は女性が出した方がおいしいでしょ!!」と言われたことについては、「ジェネレーションギャップ」と返すことが精一杯だった。
あまりにも感情をむき出しにされ、返す言葉に窮した。

練習が終わった頃には、ミキが来た。
事情を聞いたミキは言った。
「辞めたい人は辞めさせてあげればいいのに」

長男がこのグラウンドで、このチームで野球をしたのは、この日が最後となった。

それからしばらく私は心の状態が良くなかった。
横になっている日も多かった。
辞めることが宙ぶらりんになっていたのは、後ほど夫から監督に連絡してもった。
その後、監督から一通のメールがきた。
「このチームに関わっているものとして、申し訳ない」というような内容が書いてあった。
鬱状態にあった私は、それに返信できなかった。
今でも本当に申し訳ない気持ちでいる。
いつかお会いすることが出来たら、お話ししたい。

あまり時間を置かずに、美智子親子も退団した。

それから数か月後、由樹親子も退団したらしい。
同じ役員のミキと揉めて。
違うスポーツを始めたらしいが、それも辞めて、今はまた違うスポーツに取り組んでいるらしい。

このチームを辞め、「まだ野球がしたい」という長男のために、移籍先を探し始めた。
ここからが、本当の地獄だった。







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