頑張った人にはもちろん、頑張れなかった人にもそれなりに報いてあげたい
昔のCMで「頑張った人にも、頑張れなかった人にも」というキャッチコピーがありました。つい最近までは、「頑張れなかった人は負け組なのだから、何もやる必要はない」という考え方が社会に蔓延していたように思います。その結果、現代社会は生きづらさを感じている人が増え、このような状況になってしまったのではないでしょうか。
「頑張った」と言える基準は、人それぞれであり、一概に断言することはできません。私が新卒で入社した会社には、タイプの異なる二人が出世しました。一人は、いわゆる「意識高い系」で、周囲をうまく操り、最年少で役員にまで上り詰めた人物です。その過程で多くの敵を作り、常に周囲との駆け引きに気を遣わなければなりませんでしたが、今も中枢で活躍しています。
もう一人は、常に厳しい部署を任され、長時間労働に耐え、支店長にまで昇進した人物です。しかし、その後、担当した支店が経営不振に陥り、閉鎖されてしまい、不遇な日々を送ることになりました。この二人のケースを見ても、どちらが「頑張った」と言えるのかは、単純に判断できるものではありません。
私は、決して後者が「頑張れなかった」とは思っていません。人によって「頑張る」という言葉の意味は異なり、成果によってのみ評価されるべきではないと考えるからです。このような状況に置かれた人々に対しては、何らかの形で支援や救済が行われるべきだと強く感じています。
昔、カメラフィルムのCMで「美しい人は美しく、そうでない方もそれなりに」というフレーズがありました。これと同様に、「頑張れなかった人」も、それぞれの価値や生き方を持って生きているはずです。誰もが報われる、そんな社会であってほしいと願っています。