あやとり家族四十五〜本当の自由を目指して〜
父の死を受け入れることができなかった
父が亡くなった後、なぜか悲しみが全くなかった
もういないという事が理解できずにいたんだ
「ただいま」ってふらっと帰ってくる気がいつもしていて
それが一年続いた
その間泣くことはなかった
家族が泣いたり憔悴していると
わざと「お父さんだったらこうしているよねー」って笑いをとってみたりして
アンテナを家族に全集中させていた
だけど本当の私はとても悲しかった
ただ、それが表現できなくて苦しんでいたことに自分でも気がつかない
その気持ちを誰にも表現できず、お酒に頼る生活となっていく
段々と飲む量が増えていった
食欲もなく仕事以外はボケーっとしている状態
もちろん家族にはその姿は見せず、みんなの前では明るく振る舞った
突然の胃の痛み
仕事中のことだった
すぐに病院に行き痛み止めを点滴してもらい一旦おさまる
このことも家族に言えなかった
みんな辛いのに、私のことで心配かけさせてはいけないと思った
その気持ちは友達に対しても同じだった
そのうち、友達とカラオケに行ったり飲みに行ったりで時間を潰すようになる
こんなことを一年ほど続けていたある日
また胃に激痛が走った
精密検査が必要と言われ胃カメラをした
起きている状態で先生が説明する
「検査して良かったよ。この赤い点々たくさんあるでしょう?これ全部出血だから。胃潰瘍よりタチが悪いよ」
お酒の飲み過ぎ、ストレスから胃出血を起こしていた
また精神的に不安定なことも先生は理解していて
「自律神経が乱れている、すぐにでも休養しないと」
と診断書を書いてくれた
私はそれを持って会社に提出
一週間の休みをもらった
休みをもらっても家にいたら、家族のことを気にかけなければいけない
そっちの恐怖の方が強かった
主治医の先生に薬を多めに出してもらい
すぐさま、ホームステイ先に連絡し渡航した
英語なんてそんなに話せない、言いたいことを言葉にするにも壁がある
だけど思い切り泣くことが初めてできた
そういうところは海外の人の方が表現が豊かで
気持ちを理解してくれる
とても安心したことを覚えている
でもこれもつかぬまのこと
すぐに日本に戻らなければいけない
戻ればまた同じ生活
父が亡くなって夫婦喧嘩が無くなったと思ったら
今度は嫁姑問題が発生
祖母の愚痴はすずちゃんが聞いて、一緒になって母の悪口を言う
母の愚痴は私が聞くが、祖母の悪口は言わなかった
争いごとが嫌いだったから
こういうことから戦争って始まるんだなって感じたくらい
今までは父が間に入ってうまくやっていたんだろう
その父がいなくなったらこれだ
私は一人暮らしをするため貯金を始めた
もうこの家からは離れたい
自由になりたい
それしかなかった