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あやとり家族二十四

母方の祖母は人の気持ちを汲もうとしない。そんな祖母に育てられた母は私に同じことをした。

母は中学校の時貧乏で学生服が買えず、みんなと違う制服を着ていた。
母には兄が2人と妹が1人いる。

1人だけ制服が違う、それだけでいじめの対象になる。
昔は同級生だけではなく先生も一緒になって馬鹿にしてきたようだ。とっくに卒業した兄のことも持ち出して、相当悔しい思いをしたらしい。

いじめられているという認識がなかったのか、私の前だから強がっているのか。
とにかく勉強を頑張ったことだけは熱心に伝えてくる。学年でもトップレベルの成績だった。

中3になって”高校に行きたい”と祖母に言ったところ「女に学は必要ない」とキッパリと断られた。当時の母の夢は学校の先生になることだった。

祖母には伝わらない、どうしたら高校に通えるか考えてとりあえず資金を貯めるためアルバイトを始めた。その中で高校に普通に行くことは困難と考えた。

母方の実家は宗教家庭である。その宗教団体が経営している学校に准看護師の全寮制の制度があった。そこに行けば学校の先生には慣れなくても、高校卒業の資格が取れる。そう考えて両親を説得した。

両親は、それならと”学<宗教”という結果で終止符を打ち、母は念願の進学という形がとれた。

やっと卒業を迎えた母。そのまま正看護師の資格を取ろうとしていた矢先、議員をしていた祖父にうぐいす嬢をする目的のためだけに連れ戻された。

昭和の時代って親が言うことが”絶対”っていう要素が強かった。だから逆らうことなんてできない。まして、高校進学も無理を通して行ったことだから親の言うことを聞くしかなかったのだろう。

母もまた、両親のおもちゃでしかなかったのかとも思う。都合のよいように扱われ長女で少しばかり頭が良く正義感も強かった(妹には同じ思いをさせたくなかった)ことが仇となった。

今でも妹は天真爛漫、いつも笑顔で。それは母のおかげという思いがあると以前聞いたことがある。お姉ちゃんが守ってくれたと。

そんな状況下で子連れの父と出会い、マザコンからの嫁姑確執。
なるべくしてなった結末なのか。

母は自分が望む人生を歩めなかったのではないか。
自分がそういう風に育てられていないから、きっと子育てもわからなかったのか。
だから絵の具も裁縫箱もそう。1人だけ違う制服、自分だけ持っていないって思いをした母が同じことを私にした。

結局は、その鬱憤というか心の奥底に溜まっているものをちょっとずつ私に吐き出してコントロールしてきたんだと思う。もちろん本人は、その原因が自分の養育環境にあって、自分もコントロールされていたなんて70歳過ぎて考える余地もないだろう。

主治医の先生に始めに伝えたことがある。
「私がどれだけ辛かったかお母さんに伝えたい、理解されなくてもいい。どんな思いで育ってきたのかだけでも言いたい」って。

言うのは構わないけど、お母さんももう歳でしょ?残された人生を過去のことで申し訳ないって過ごしていくのはどうなのかな。それに今までわからなかった人なのだから、伝えてもきっと理解できないと思うよ。

先生の意見に納得した。
絶対理解しない、最初は”ごめんね”とか言うかもしれないけど、
うん、絶対無理だと確信した。

そのうち自分の話になって、”私ってかわいそう”って悲劇のヒロインになることは目に見えている。


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