三浦しをん『愛なき世界』との出会い
この本を知ったのは、気まぐれに訪れた小石川植物園にある、柴田記念館がきっかけであった。柴田記念館は、園内で最も古い建物で、元々は研究室であったものが、展示やグッズの販売に使われているそうだ。
何ともなしに見た、小さな本棚に並んだ本の背表紙が目に入る。『愛なき世界』。なぜ三浦しをんの小説がここに?いや、それよりも「愛なき世界」とは?
私は恋愛的欲求が薄い。人の恋愛話を聞くのは楽しいが、それを羨ましいと思った記憶がない。一番身近なモデルケースである両親の姿が、幸せそうではなかったせいか、結婚願望もない。家族愛に対する信頼もない。
いつかは恋に目覚めるのかもと希望をもった時期はあったが、30代になっても、恋愛的な意味で好きになれた人は二人だけ。実際に付き合ってみたりもしたけれど、性的欲求を相手に抱かなかったから、行動で恋愛感情を証明することができず、別れた。
友人はいるので、友愛はあるが、恋愛は私にとって縁遠い現象だ。
「愛なき世界」という言葉にシンパシーを感じ、本を手に取ると、美しい装幀に惹かれた。深い青のカバーに、キノコやペンペン草のような素朴な植物が描かれている。あれ?ペンペン草ではないのか。葉っぱの形が明らかに違う。
青く光る箔押し風のプリントも綺麗だ。何がプリントされているのか、イチョウ以外はよく分からないが、ボルボックスのような柄や、謎の器具のシルエットが鈍く光っている。
植物園に来ているというシチュエーションの影響か、ゆっくりと対象を観賞しながら、表紙をパラパラとめくった。
主人公は、本郷通り近くの洋食屋で働いているのか。小石川植物園にこの本が置いてあるということは、東大の植物学の研究者と、この主人公が出会うんだな、と推測する。
でも、「愛なき世界」が何なのかは、どこまで読んだら分かるのか、分からない。小説なのだから、最後までかも。
小説は拾い読みには向いてない。オムニバス形式や短編集なら可能だが、この本はそうではない。この場で謎を解明することは諦め、改めてすべてを読むべきだろう。そう判断して、柴田記念館を後にする。
後日、覚えたタイトルをネット検索してみた。すると、ハードカバーだけでなく、上下巻に分かれた文庫本もあることが分かる。
文庫本は軽くて持ち運びやすいし、ベッドに転がりながら読むのにも向いている。そう思ったが、惹かれたのは、あの美しい装幀であったから、ハードカバーで読むことに決める。
ハードカバー版
文庫版上巻
文庫版下巻
読み進めると、洋食屋の見習い料理人・藤丸と、植物学の研究室に所属する大学院生・本村さんの交流を中心に、植物学研究の喜びや、研究者として生きていくことのドラマが丁寧に書かれた物語であることが分かる。
植物に恋をする本村さんに恋をする藤丸青年。語り部となる二人の穏やかさ故か、ストーリー展開に大きな衝撃はほとんどなく、のどかな研究風景の中に、時おり美味しそうな料理の描写が挟まる。
そんな穏やかな空気が漂う物語であるにもかかわらず、私はハラハラした。交流を深めていく藤丸と本村さんの様子に、植物研究の世界に生きると心に決めている本村さんが、恋愛に目覚めたらどうしよう、と勝手にハラハラしたのである。
本村さんは恋愛も結婚もしないと言っているけれど、物語の展開によっては藤丸に惚れてしまうかもしれない。それは言うなれば、ずっと友達だよねと、学生時代に笑い合っていた友人と、疎遠になってしまうような寂しさがあった。
もしそうなって、この小説を読んだことを後悔したとしても、この小説が自分向きの物語ではなかったというだけだ。そう自分に言い聞かせながら、物語を最後まで読み進める。
ネタばれはしたくないので、この心配が杞憂に終わったかどうかは書かないでおく。ただ、読んで後悔はしなかったとだけ言っておこう。
偶然にも、この記事を読んで、『愛なき世界』に興味をもった人には、実際に読んで確かめてみてほしい。きっと希望のある優しい世界を感じられると思うから。
三浦しをん先生は、小説家として、難解な専門的知識を物語に落とし込むのが上手いのだろう。私に植物学の知識はないが、専門用語を物語の流れの中で、スムーズにレクチャーしてくれるので、理解に差し支えはなかったし、自分の知らない分野の世界を覗き見る楽しさがあった。
もちろん、専門知識がないので、どこまでが植物学の世界におけるリアルで、どこからが物語におけるイマジナリーなのかは判別できない。三浦しをん先生本人も、「作中で事実と異なる部分があるのは、意図したものも意図せざるものも、作者の責任による」と謝辞で述べている。
ただ、この本が小石川植物園にあったように、誰かにとっては、この物語が植物学への入り口となることもあるだろう。もしも私が、大学への進学を考えている高校生だったなら、進路選択の参考になったかもしれない。
物語を終えた後、表紙を閉じ、この本を見つけたときのように、再びまじまじと装幀を見る。そして、作中に出てきた植物や実験器具等を表紙のイラストと照らし合わせた。
キノコは植物ではないらしい。ボルボックスのようだと思ったものは……。中表紙についている透かし紙の柄が……。そんな風に、読後感を味わうことができた。
普段、私は本を読む方だとは思うが、小説というジャンルには詳しくない。娯楽のためというより、知りたいことがあって本を読むことが多いからだ。
今回も例にもれず、「愛なき世界」の意味を知りたくて、本をとった。
そんな調子なので、製本の技術に明るくないし、装幀に興味をもつことも今までなかった。紙の本にこだわりはなく、レイアウト上の読みづらさとデータ破損による散逸のリスクを除けば、電子書籍の方が便利だと感じる。
『愛なき世界』はそんな私に、物語を享受する楽しさと共に、ハードカバーの本を開く満足感を与えた。そして、作者以外にも多くの人が、本を作り、出版するのにかかわっていることを、思い至らせてくれた。
さらに言えば、柴田記念館の棚に本を並べてくれた人が、『愛なき世界』との偶発的出会いを作り出してくれたのだ。だから、特別な読書体験を得る機会をくれた、すべての人に感謝する。
三浦しをん『愛なき世界』中央公論新社、2018
装幀:田中久子
装画:青井秋
カバー・表紙の写真:Moment/Getty images