命札の思い出
「命札」と書くと怪談百物語に出てきそうな雰囲気が醸し出されるが端的に説明すると近所のプールに行くときに持っていかなくてはならないかまぼこ板である。地方の一部で残っている習慣らしくあまりメジャーではないらしい。
私が生まれ育ったのは京都の山間にある小さな田舎町で、いくつかの地区が共同で夏休みの間だけ1つのプールを開放していた。近所の子供たちはお昼ご飯を食べたら1時から3時の間にだけ開放されるそのプールに急いで遊びに行くのが日課であり私もその一人だった。
そのプールに入る前に入場券のように必要になるのがこの「命札」だ。
命札はただの木の板に「小学校名・学年・名前・住所」を書き、板にキリで穴をあけぶら下げる紐を通して作成する。つまりこの田舎では一家に一本キリが普及していたことになる。
プールに着いたら命札を入口の金網に引っ掛け、帰るときに持ちかえる。
今誰が来ているのか、プールを占める時に取り残された子供がいないかを判別する重要な札なのだが「あれ?この札が残ってるぞ」となった時には時すでに遅しだ。
この命札の厄介なところは小学校の学年を記載する必要があると言うこと。つまり毎年新しい札を用意する必要がある。夏休みに入る直前、スーパーのかまぼこの売り上げは間違いなく上がっていただろう。
時にはかまぼこ板の用意が間に合わず、泣く泣くその辺で拾った汚い板切れを代用したこともある。田舎は探せばその辺に板切れが転がっていたりする。親が大工さんの家の友達はきれいにやすりをかけられた木目も美しい立派な命札を毎年持参しておりうらやましかった。祖母が書道教室の先生をしている家の友達もそれはそれは達筆な文字が躍った命札でうらやましかった。私は自分で作っていたので、板が乾ききらない内に書いてしまうマジックのへたくそな字はいつも少し滲んでいた。
たかだか、ひと夏使用するだけのかまぼこ板だがそこにはそれぞれの家庭の事情が浮かび上がり今振り返ると面白い。