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#9 とある遅読家の読書感想文『年収90万円でハッピーライフ』大原扁理著④ 「第二章 フツーって、何」より(後編)
今回はこちらの書籍の「第ニ章 フツーって、何」から、後半部分で、特に胸に響いた箇所を引用させて頂き、その感想を綴らせて下さい。
も〜引用したいことだらけ、アンダーラインだらけなんです。
コンビニで働いていたとき、子供がフツーに万札でドカ買いしていったことがありました。この子の将来、幸せを感じるためにどれだけの金とモノが必要なんだろう。と老婆心ながら心配してしまった。しんどそうです。P70
たしかに、と思うのはともかく…、
他人に対して、その他人の幸せの感じ方、必要量はどのくらい?と、著者の言う老婆心が自然と湧き起こるところに著者の繊細さ、優しさ、寛容的なところを見出してしまうのです。(エラソーな言い方ですが…)
いい悪いとか、正しい間違ってるみたいな、相対的で対立的な価値観って、疲れると思う。間違ってる何かがないと、自分が正しい側に立てないというのは、しんどくないでしょうか。p74
何がベストかっていう考え方からも、できるだけ離れていったほうがラクです。がむしゃらに働こうが、ゆっくり生きようが、その人が好きでそういう生き方をしてるなら、ライフスタイルに優劣とか特にないと思うし。p75
生き方に限らずですけど、何がベストかっていうのは、ただの幻、という気がする。p75
そうそう、比べて優位でありたいんです。優越感感じた時は疲れ感じませんが、そうでないとき、自分に落ち度があるときのフラストレーションたるや…。
疲れます。いや、疲れてました。
このわだかまり!言語化、表現できなかった!
優劣つけがちなのがいかにナンセンスか…、といったような表現もまた…。
乾き切った心に最初からあるオアシスこそ幻、他者との比較。
乾き切った心に本物の潤いを与えてくれる、言葉という湧き水をもたらしてくれるのが著者の表現。
合掌。
個性は外に求めるものではなくて、日々の地道な積み重ねの中から、否応なくにじみ出てくるものだと思います。一朝一夕にではなく、毎日、コツコツ「自分」をやっていくこと。それをすっとばして、本当の意味で個性的になることはできないと思う。本当に個性的な人って、よく見るとわかるけど。人の注目を集めようとしてるっていうよりは、ただひたすら「自分」をやってるだけなんですよね。p77
こんなに要領を得た「個性」の説明あるのか…、勉強になります。
また合掌したくなる…。
他人を敬うこと、抵抗あるはずなのですが…。
余談ですが…、
ただひたすら「自分」をやってる、本当の意味での個性的な人。
私が真っ先に思いついたのがE.YAZAWAでした。
家族にまつわるあらゆる問題は、「家族はいちばん近くにいる他人だ」という前提を忘れてしまうことに、起因しているのではないかと思います。p84
家族だからって、愛さなきゃいけないってこともないし。他人なんだから、愛せなくてもしょうがないじゃん。p88
物理的に近すぎるからこそ、精神的な距離感をとらないと、息がつまっちゃう。
「家族は他人」と思っておくことは、自分が相手の尊重すべき領域を踏み越えないためでもあるんです。p88
もう毎日修行ですよ、誰かと生きるということは。p88
ダメだと分かっているつもりなのですが…、この境地に達している著者へのジェラシー、抑えられません。
著者は世界を救ってくれるのでは?というような期待まで湧いてしまいます。(難しいことは解らないのですが、ウクライナ情勢が気になって仕方ない昨今なのもあり…。)
凶悪犯、みなしごなど、どのような人間も、一応は元々父母がいる。家族という単位を持っている。あるいは、持っていた。(…と言い切れるのか不安ですが。)
世界中で起こる理不尽な犯罪、事件も突き詰めれば、この、家族という単位で起こるいざこざ、一番身近な他人とのいざこざに由来するのかなぁ?
…といった拡大解釈が浮かんできました。
苦労って、2種類あると思う。
ひとつは、何か目的があって、その目的を達成するために必要な苦労。これは「努力」や、「がんばる」と言い換えてもいい。
もうひとつは、結果に関係なく、苦労することだけが目的の苦労。これは「努力」でも「がんばる」でもありません。できるだけやんないほうがまし。p90
ただ、成長することとか、お金のありがたみがわかるのって、つらい経験をしなくてもできる人はできると思うんですけど。逆に苦労ばっかりしてるのにぜんぜん成長しない人もいるし。つまりみんなそれぞれ、与えられた能力も、置かれた状況も違うんですよね。なのになんで全員が一律に苦労しなきゃいけないのか、そこがいまいちわからない。p91
要するに、何かはっきりとした目的や、得られるものがあるなら努力すればいいんです。実のない苦労ならしないほうがハッピー。p94
もしかして、前述のような苦労自慢大会をしてる人たちって、自分の経験が無駄だと思いたくないのかもしれません。p94
これからは、その苦労がほんとに必要なのかどうか、社会に決めさせるんでなく、いちいち疑ってかかることが大切です。人間って集団になるとあんまり考えないっていうか、アホになりがちですからね。p95
私の身近には、ひたすら根性論ばかりを振りかざす、一般的に前向きと捉えられる考えばかり押し付ける、または、著者の言うような苦労話ばかりで自分が正義の、とにかく面倒な方が、残念ながら、一部おります。
我ながら酷い言い方ですよね。
自覚してるつもりなんです。
でもやめられない。
カタルシス〜。
上記のような方々を、自分もしれっと、論破できてしまうのでは!?と錯覚し、下心がウズウズしてしまうのです。
スッキリ。
(本当はしたくない)合掌をまたしてしまいます。
他人を崇めることこそ諸悪の根源!と、これまた、自覚してるつもりなのですが、著者の一言一句に心酔してしまうのです。
次回、第三章からの引用とその感想を綴らせてください。(おそらく、いくつかに分けての投稿になるかと…。)
お読みいただいた方、ありがとうございます。
今回はここまでとさせて下さい。