#9 とある遅読家の読書感想文『年収90万円でハッピーライフ』大原扁理著④ 「第二章 フツーって、何」より(後編)
今回はこちらの書籍の「第ニ章 フツーって、何」から、後半部分で、特に胸に響いた箇所を引用させて頂き、その感想を綴らせて下さい。
も〜引用したいことだらけ、アンダーラインだらけなんです。
たしかに、と思うのはともかく…、
他人に対して、その他人の幸せの感じ方、必要量はどのくらい?と、著者の言う老婆心が自然と湧き起こるところに著者の繊細さ、優しさ、寛容的なところを見出してしまうのです。(エラソーな言い方ですが…)
そうそう、比べて優位でありたいんです。優越感感じた時は疲れ感じませんが、そうでないとき、自分に落ち度があるときのフラストレーションたるや…。
疲れます。いや、疲れてました。
このわだかまり!言語化、表現できなかった!
優劣つけがちなのがいかにナンセンスか…、といったような表現もまた…。
乾き切った心に最初からあるオアシスこそ幻、他者との比較。
乾き切った心に本物の潤いを与えてくれる、言葉という湧き水をもたらしてくれるのが著者の表現。
合掌。
こんなに要領を得た「個性」の説明あるのか…、勉強になります。
また合掌したくなる…。
他人を敬うこと、抵抗あるはずなのですが…。
余談ですが…、
ただひたすら「自分」をやってる、本当の意味での個性的な人。
私が真っ先に思いついたのがE.YAZAWAでした。
ダメだと分かっているつもりなのですが…、この境地に達している著者へのジェラシー、抑えられません。
著者は世界を救ってくれるのでは?というような期待まで湧いてしまいます。(難しいことは解らないのですが、ウクライナ情勢が気になって仕方ない昨今なのもあり…。)
凶悪犯、みなしごなど、どのような人間も、一応は元々父母がいる。家族という単位を持っている。あるいは、持っていた。(…と言い切れるのか不安ですが。)
世界中で起こる理不尽な犯罪、事件も突き詰めれば、この、家族という単位で起こるいざこざ、一番身近な他人とのいざこざに由来するのかなぁ?
…といった拡大解釈が浮かんできました。
私の身近には、ひたすら根性論ばかりを振りかざす、一般的に前向きと捉えられる考えばかり押し付ける、または、著者の言うような苦労話ばかりで自分が正義の、とにかく面倒な方が、残念ながら、一部おります。
我ながら酷い言い方ですよね。
自覚してるつもりなんです。
でもやめられない。
カタルシス〜。
上記のような方々を、自分もしれっと、論破できてしまうのでは!?と錯覚し、下心がウズウズしてしまうのです。
スッキリ。
(本当はしたくない)合掌をまたしてしまいます。
他人を崇めることこそ諸悪の根源!と、これまた、自覚してるつもりなのですが、著者の一言一句に心酔してしまうのです。
次回、第三章からの引用とその感想を綴らせてください。(おそらく、いくつかに分けての投稿になるかと…。)
お読みいただいた方、ありがとうございます。
今回はここまでとさせて下さい。