厳しく、かくある君のスタンス
会社を辞めて行った同期、Y氏は、会社のフィールドをかえて、同業・同職種で働ている。チェーン展開する外食企業の、直営店の店長職だ。会社を移って事業業態は変わったものの、今日も客を迎え、従業員に囲まれて店舗営業を続けている。
Y氏はの風貌はマッチ棒のようで、細すぎて本来の身長よりも一回り小さく見える。本人は健康的な痩せ方だといい、たしかに病的なそれとは異なるように思う。
彼が転職する数年前、私も店舗運営を行う営業部の中にいた。今は私は基本的には営業を離れ、本部の別部署で働いている。
Y氏とは半年と少しの間だけ、同じ店舗で働いたことがあった。頻繁に会うことはないけれど、同期のよしみで半年に一度くらいお茶をして情報交換をする仲で、最近、久しぶりに食事に行った。都内の居酒屋に入ったが、私は居酒屋というものを相当長い間使ってなかったので、お酒もメニューも多様に扱われていることが新鮮に感じられ、楽しかった。
ところで、Y氏とは嗜好は似たところがあって、食べ物や飲み物のオーダーが同じだったりする。スタバに行けば同じ種類のフラペチーノだったり、ステーキ屋さんのランチのサイドメニューなら、同じようにコーンスープとかクリームソーダが好きなのだ。カフェに行って大きなフレンチトーストを二人揃ってがっついたこともあった。
ただの同僚なのにいつも注文が同じというのでは、さすがに変と思われ、Y氏が先にオーダーすると私は気を使ってオーダーを変える努力をしたこともあった。その日も2杯目の注文は同じく〝コーラ〟だった。オーダーを替えようか迷ったが、
「君とはかぶるんだからね」とことわって、心の中では仕方ないじゃん、と思いながらそのままオーダーした。久しぶりに楽しむ居酒屋さんのコーラは、絶妙だった。Y氏も「このコーラ、(転職前の)店の味がする」と言い、二人揃って居酒屋コーラを楽しんだ。
そんな風にプライベートで接していると、芯のある女子友といるような気分になる。会話をしていて建設的だと感じている。ニコニコしているし、私の戯言にも付き合ってくれる。
ところが仕事となると、そんな緩やかな気持ちでは彼のまわりにいることができない。
外食企業の現場で働くと、一日に一度か二度、全員揃ってとてつもない生産性が生まれる瞬間がある。一気にオーダーが入って、料理やドリンクを作って出さなければならない瞬間だ。ホールでは客が思いのままに楽しむ傍ら、裏面では機能性高い工事のように調理や皿洗いの仕事が行われている。こうした職場の性質上、もちろん女性も活躍するとはいえ、男性の働き手は一定数いる。きっとスポーツもできて、身体機能の高い人も多いのではないかと思っていた。
そんな世界で、特に社員の層は男性社会だった。異動する店舗ごとに男性社員と働いた。体を動かして仕事を収めていく職場だから、身体機能の高い人は一場面においては必然的に優位に立ちやすい。中には己を強く見せるために言葉を荒げたり、力を誇示するケースを見ることもある。
その点、Y氏は静かだった。静かなマッチ棒である。彼の場合、誇示する姿勢が先に出ることがあまりない。暴力性をを感じるそれはない。
ただ、彼は仕事にとても厳しかった。
静かな性格なのだが、仕事となると圧倒的な厳しい空気を纏うから、人によっては恐怖心を抱くと思う。あなたの前に、磨き上げたような爪をかざした鷹が、突然現れたとしたら…と想像してほしい。息を飲むと思う。仕事の彼は、そんな空気を纏っている。
Y氏は生真面目な人で、端正な仕事のスタイルを基本にしている。彼は店長だから、彼の店舗はそのスタイルに統制される。求めるものは基本に忠実で、それが守られることを高い基準で求めてくる。例えばルールに外れた手順で仕事をする従業員がいるとして、2度は丁寧に注意するものの、3度目を繰り返せば、「何考えて仕事してる?」と聞くのだという。いかに人に対峙できるか、少なくとも私の会社の店長職の世界では「人に強い」とか「人に弱い」とか言うのだが、その線上では彼は圧倒的に人に強かった。彼の鋭さとは、1対1の関係に強く、物怖じせずにスピード感をもって直球で向き合ってくることなのだ。
時に彼に恐怖心を感じたり、うまくやることで渡ってきた従業員は、辞めていくしかないという現実もあった。
私には、彼の厳しさを凌駕するほどの強さはない。厳しさはひしひし感じていた。
ただ、今も時々のおしゃべり友達をする仲が細く長く続いていて、その時代にも鋭利な爪を持つ鷹を前に逃げたい気持ちにはならなかった。理由はきっと、彼の配慮にもある。同期で、同性でなく、実は歳も少し違う。でもそれだけではない。私にも論があった。
私は常に作りたいホールの空気感・温度感の決まりを自分の中に持っている。その空気感・温度感とは従業員の心持ちと表情、パフォーマンス、お客さまがいかにリラックスし、楽しむことができているかに尽きる。私は私で、この温度帯を保つことに必死だった。(その内容はまた別のページで)
なぜかというと、この温度帯を創造できない限り、少なくとも担当する業態においてお店が繁盛すりはことがないと、どこかのタイミングで悟っていたからだ。繁盛することで解決の糸口が見える、経営や運営上の数値的問題、秩序づくりの課題は多々ある。業員の能力の伸ばすための環境もと整えやすい。私の見出していることの先に、手応えがあると思っていた。
するとどうだろう。Y氏の静かながら厳しい一声で店内の空気が一瞬で凍りつくのだが、私はその凍てついた空気が続いては、売れるものも売れぬとフォローに努める。もちろん更なる彼の怒りをかって事態が硬直しないように丁寧に。そこからまた温度を戻すように人を立て、言葉をかけていく。Y氏とは間合いを保つように接していく。
作ってはヒビを入れられ、補修してまた作る、そんなことが繰り返されていた。
我慢はあるが、あくまで店長はY氏である。組織の統制も大切で、私は彼の意思との調和を優先し、自らの主張に線を引く努力をした。彼の意向に背くことは、私の望む世界観を作ることに遠のくことでもある。彼のやり方との間の調和も、無くてはならない。だから彼を立てつつ、彼のやり方に追随して状況を作っていった。すると一定のバランスが生まれ、繁忙期には成果も出ていた。
壊れて作っての繰り返しには、人によっては疲弊して離れていくのかもしれない。私も例外ではないが、彼が全力で物事に向かう姿勢に密かに敬意も抱いていて、離れるよりも共に作る物事の方が関心が高かった。Y氏は従業員に対して一定の見方、考え方をする。それは人にも物事にも向き合う姿勢であって、嫌いになれない。
だから私は何かあっても「仕方ないな」という感情で片付いてしまう。ちょっとだけ、彼はずるいとも思う。
***
その日、時勢柄で都の要請を受けているであろう我々が楽しんでいた居酒屋は、ラストオーダーの時間が早かった。楽しい時間は早々と過ぎていく。
Y氏は久しぶりに私に会い、それなりに素をさらしているのだと思うが、相変わらずゆるっとしている。店員の女性が早めの会計を先に求めてきたので、テーブルで支払い金額を渡した。
会計を待つ間、ずっと聞いてみたかったことを尋ねてみた。
私は今の一部業務でリーダーをしているので、再びマネジメントに関心を抱いていた。最近は彼の仕事のスタイルに近づいてみたいとも思っていたのだ。
「どうしたらさ、そんな風に厳しくなれるの?」
「ん、こだわり。それと人への関心、かな」
Y氏の答は思いのほか、さらっと返ってきた。
彼は生真面目で苛々することが多かろうが、時には従業員が離れて行こうが、人が好きなところがある。そうでないと店長職はきっと続けられない。だから〝人への関心〟はわかりやすかった。
意外なのは、〝こだわり〟だった。
そうか、スタイルを貫いていたのは、こだわっていたからだったのか。それが厳しく、かくあることにつながっていたんだ。
ほどなくすると店員の女性がレシートを持ってきた。私たちは両手を合わせてご馳走さまをして、お店を出た。
都会の夜は、まだまだ騒がしい。3時間前と変わらない人の流れがあった。
Y氏とは、また会うとしたらきっと来年だと思うし、会わないということもあるのかもしれない。だだ何となく、この人に関しては心の中の存在感が消えることはないのだと思っている。一つ屋根の下の職場で全力で働いて、仕事終わりには、従業員の皆とも一緒に、同じ釜の飯を食べた日もあった。
私が小ぶりな鷹になれるとしたら、Y氏と同じ属でありたい。色々な種類の縁や愛情があるとして、同期で大事なのはこの人なのだと思うし、そう決めた。
澄んだ空気の季節に向かう、
9月の夜のこと。