私の推し面⑧【柏山聡子 先生】
宝生能楽師が憧れているあの面、
思い入れのあるあの面…
そんな「推し面(めん)」を月に1回ご紹介していきます。
第8回目は10月、秋の女流能で「龍田」を勤める
柏山聡子(かしわやま さとこ)先生。
――柏山先生にとっての「推し面」を教えてください。
私がお稽古を始めたときからご指導くださった渡邊三郎先生が、ご自身のお宅でずっと大切にしていらした「中将」という面です。
渡邊先生が亡くなられたあと、お嬢さまが装束や面をこの宝生能楽堂に寄贈なさったうちの一面なんですよ。
今回の秋の女流能は、「清経」「龍田」「葵上」の三番立てなのですが、初番の清経は貴公子というイメージなのに、使われる中将の面が何だか鼻の大きいモッサリした感じで、あまりきれいではないように思うこともあったんです。
でも、渡邊先生のこの中将は鼻が少しスッとしていて、品のあるきれいな感じがします。
それに、中将って眉間に皺が寄っているんですが、すごく嫌そうな表情ではなく、ちょっと神経質だけれど、きつくないというか。
渡邊先生は目が大きくぎょろっとしていて、まるで「癋見(べしみ)」のよう…と密かに言われていらしたようなお顔だったので、その先生が中将の面をお持ちになっていらっしゃるということは、もしかしたら中将は先生にとっての憧れの顔だったのかなと思ったり…(笑)。
※癋見についての記事はこちら。
直接、先生になぜ中将をお持ちなんですか?とお話を伺ったことはないのですけれどね。
先生の大切にしていらした面ということで、この中将は私にとって愛着のあるものなんです。
――渡邊先生とのお稽古はどのような流れで始められたのですか。
私の場合は、習い事の一つとして6歳の頃からのんびりと始めさせていただきました。月曜はピアノのレッスン、火曜は能のお稽古、という感じでしたね。
私は能の家の生まれではなく、母がたまたま学生時代から渡邊先生にお稽古を見ていただいていたので、小さい時から母に連れられて練馬のお稽古場に伺うようになりました。
私がぼーっと座って見ているのをご覧になって、「さとこ(聡子)ちゃんもお稽古したらいいんじゃないの?」と先生が言ってくださったのが、私のスタート地点なんです。
渡邊先生は、本当に自分のおじいちゃまみたいな感じでした。お稽古の順番を待っている間に、お宅のお座敷でおやつを出してくださったり、宿題をさせていただいたり、お孫さんと遊んだり。
小さい頃はじっと座っていられず、舞のお稽古が殆どだったので、芸大を受験することになって、大慌てで謡を特訓してくださったこと、着物や袴を一人で着られるように奥様も一所懸命教えてくださったことなど、本当に懐かしくありがたい思い出ですね。
――秋の女流能では「龍田」を勤められますが、どのような曲ですか。
旅のお坊さんが奈良の龍田川を渡ろうとすると、「渡ってはいけません」と声をかけてくる女性がいます。その女性、巫女なのですけれど、龍田川の歌を引きながらその謂れを語り、明神へと導いてご神木の紅葉を見せ、「実は、私は龍田姫なのです」と言って神殿の中へ消えていきます。やがて、ざわざわと神殿が鳴動し、中から龍田姫がありがたい姿で現れ、龍田明神の起こりや紅葉について語っては神楽を舞い、天下泰平を祈って消えていくという、非常に能らしいお話です。
ですが、「龍田」には物語性があまりないんですよね。今度の女流能の中で一番観ていて退屈というとなんですけれど(笑)、起伏があまりない。皆様を飽きさせずに楽しんで観ていただくにはどうしたらいいかなと、なかなか悩みの深い曲でもあります。
――役をいただいてどのような印象をお持ちになりましたか。
初番じゃないんだなと少し意外でした。
能には神男女狂鬼という順番(五番立て)がありまして、「龍田」は本来四番目物の扱いなのですが、略脇能という形で神様の曲として最初に演じられることが非常に多いのです。今回の女流能では「清経」と「葵上」の真ん中に入っているので、これは少し演じ方を考えないといけないのかなと思っています。
――「龍田」で注目して見ていただきたい所はどこですか?
「龍田」は紅葉がテーマとなっているのですが、最後の場面で、
「神風、松風、吹き乱れ吹き乱れ…謹上再拝、再拝、再拝と…」という謡がありまして、
言葉が繰り返されるんですね。
紅葉がざわざわっと動いて何か大きな力を自然と喚起させるような感じがします。
私が今年の初夏に実際に現地を訪れたときは、青紅葉がさわさわっと爽やかで、すごく清浄なイメージだったんですが、秋になれば紅葉が真っ赤に染まって、また景色が全然違うんだろうなと思いました。
「龍田」の舞台は奈良なんですが、同じ神楽を舞う「三輪」という曲も奈良なんです。
5年ほど前、稽古能で「三輪」を勤める直前にちょうどお家元が大神神社(おおみわじんじゃ)のお膝元で舞われる機会があったので、拝見して「三輪」の舞台となる庵にも行ってみようと思ったところ、公演のあと秋の日は釣瓶落としで暮れてしまい…。着いたときには真っ暗で、地の下にこの世のものではないようなものがうごめいているような感じがして何だか怖ろしくなり、途中で引き返してしまった思い出があります。
「龍田」は明るく美しい印象の曲なんだけれども、根っこのところに、この奈良という場所の持つ力があるような気がするんですよね。
奈良の地のエネルギーも女流能で表現できればいいなと思います。
――「龍田」で使う面のご紹介をお願いします。
「泣増」という面で、使われる曲で有名なのは「羽衣」の天女です。
「龍田」は前(巫女)も後(龍田姫)も同じ面を使います。
人間から離れたような、ちょっと怖い感じもありますよね。
この面は、頬に少し赤みがあります。
――「泣増」を使った公演で思い出に残っていることはございますか。
去年の「東京2020オリンピック・パラリンピック能楽祭」で「羽衣 盤渉」を舞わせていただいたときは、新型コロナが蔓延するとても苦しい状況でした。物語の内容とは別なレベルで「祈る」ような気持ちの中、稽古を重ねていく感じがありました。
「羽衣」も「龍田」も、なぜこの人たち(登場人物)が今、この舞台に出てきたのかというと、この国を平らかに豊かにするためなんじゃないかと思うんですよね。
※泣増についての記事はこちら。
――柏山先生は親子教室などでお子さんたちにも能を教えておられますが、教えるうえで大切にされていることはございますか。
子どもの育て方として、今は何でも理解させて、子どもに分からせるっていうのが当たり前の教育ですよね。だけれど、和の教育って必ずしもそうではなくって、だめなことはだめとまず教えておく、あるいは、とにかく覚えさせる。例えば百人一首や奥の細道みたいに。
それを重ねて、ある一定の時期になったときに、「こういう理由があるんだろうか」と、自分で考えたり、気づいたりすることで、より深く理解できるようになるというか。
分からないけれどとりあえず体に入れておいて、自分がいろいろな経験をしていくうちに、それが本当の血肉となる。ただ表面に入れるのではなくて、本当に自分のものとして認識していくっていうのが、すごく大事なんじゃないかなって思います。
今どきのお子さんは何でも発達が早いし、理解もいいから、私も一応色々と説明をするようにしていますが、本当のところは、まあ忘れちゃってもいいんです。そのときは面白いとか面白くないとかっていうのは分からないかもしれないけど、やっていくうちにだんだんと面白さが分かってくる。そこに連れて行ってあげたいなと思いますね。
子どもがやりたくないって言ったら、言うなりにやめさせちゃうこともあるかもしれないですけれども、もうちょっと長い目で見て、続けてみて分かること、その先にあるものを、子どもにも体験させてあげたらいいんじゃないかなと。
大人の場合も最近では、単発でおしまいというものや数回で完結するようなイベント的なものが人気ですが、ぜひ長く続けて、より能の面白さを味わっていただきたいですね。
※親子教室についてはこちら。
――最後に読者の皆様に向けてメッセージをお願いします。
紅葉の時期にはちょっと早いですが、ひと足お先に女流能の「龍田」で秋を感じていただき、またその後に今年の紅葉を目で見て味わっていただければと思います。応援よろしくお願いいたします。
日時:9月15日(木)、インタビュー場所: 宝生能楽堂稽古舞台、撮影場所: 宝生能楽堂稽古舞台、10月秋の女流能に向けて。
✨10月公演のチケットについてはこちら✨
柏山聡子〈Kashiwayama Satoko〉
シテ方宝生流能楽師
昭和42(1967)年、東京都生まれ。18代宗家宝生英雄、19代宗家宝生英照、20代宗家宝生和英に師事。1995年入門。初舞台「小督」ツレ(1993年)。初シテ「竹生島」前シテ(1999年)。「石橋」(2018年)、「乱」を披演。
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