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【ダスカロスの教えに学ぶ25】「霊-魂-エゴ」としての自己(「真理の言葉」第14章より)

真理の言葉」14章は長めの章なので、2回に分けて考察する。


「霊-魂-エゴとしての自己」に目覚めよ

すでに学んできたように、わたし達人間本質は「エゴとしての存在」である。時間-空間-場所に制限された物質界 に肉体を持って生まれてくると、なかなかその事実を思い出せなくなるのだが……遅かれ早かれすべての人間はほんとうの自己に気づき、それを自己の内側に顕すようになる。

本能的とは何を意味しているのでしょうか? 本能とは何でしょうか? 私たちの肉体は、幼年期から他界する老齢期前後まで本能的に生きていきます。これは鈍く粗い物質である肉体の生涯であり、本能的に生きているのです。しかし、肉体は私たち自身ではありません。私たちの表面に出てこない本当の生命、すなわち「エゴとしての永遠の存在」として真実の生命は、ゆっくりではありますが、この肉体の中で少しずつ大きくなり現われてくるものなのです。

それは現われてくると表現されますが、どこから現われてくるのでしょうか? 何かが現われ、はっきりと出現することが意味するのは、この何かが “永遠にある” ものであり、そして “一時的に存在している” ものだということです。すなわち「エゴ魂としての自己」の一部肉体の中に存在し、時間と場所におけるパーソナリティー をつくり上げているのです。

男でも女でも肉体は基本的に同じです。背が高い低いなどに関係なく、肉体は基本的にその骨、組織、皮膚、臓器、血液、体毛などすべてを含めて、同じ形態を備えています。さらに、重く粗い肉体はその組成と造られ方について言えば、他の動物の肉体とも大きな差はありません

「真理の言葉」205‐206ページ、一部の太字化はNoelが実施

人間は、神聖なる計画 のもとに 基本元素の大天使たち が創造した肉体を持っているが、その肉体が「わたし」という 自己意識 をつくっているわけではない。「わたし」を「わたし」として認識するのは「エゴとしての自己」であり、それが人間(注:人間=地球人類に限定しない)を人間たらしめているのである……が、残念なことに、分離の次元(3~5次元)に降下した人間のほとんどが自己意識を 第3段階(本能)~ 第4段階(潜在意識)に自縛し、「エゴとしての自己」を忘れた輪廻のループに陥っている、、、「気をつけて目をさましていなさい。その時がいつであるか、あなたがたにはわからないのだから」(マルコ福音書13章 32‐33節)というキリストの忠告は、眠りこけた地球人類の憐れな現状への嘆きだ。

人間の「実現性の循環」

人間の実現性の循環」は、すべての人間に共通する不変のルールである。あらゆる可能性と多様性を生じさせる「蓋然性の循環」によっても、「実現性の循環」の順番が入れ替わることはない。人間はもれなく、「物質界への誕生 → 赤子 → 子供 → 成人 → 老人 → 肉体の死」というコースを辿るのだが、人間の実現性の循環」のゴールは肉体の死ではない

では、私たち自身、すなわち人間の実現性の循環」を調べ学んでいきましょう。それでは、次のような質問をしてみましょう。「私たちは何者なのでしょうか?」「真実において、私たちは何なのでしょうか?」「私たちは誰なのでしょうか?」 人間の実現性の循環」は、僅かな人だけに知られています。なぜなら、それには  としての人間、そして人間、すなわち「人の子としての実現性の循環」が含まれているからです。

私たちはであり、すなわち私たちの「エゴとしての自己」はなのです。そして、これが私たちの「実現性の循環」なのです。これがまさに キリストであるジョシュアイマヌエル が弟子たちに教えていたことなのです。そして特に「弟子ヒーラー」に対して、彼らの実現性が人間として如何に偉大であるかを示すためでした。

「真理の言葉」208ページ、一部の太字化はNoelが実施

人間の実現性の循環」は、肉体の死第1の死)によって物質界を去った後もサイキカル界 →(第2の死)→ ノエティカル界 →(第3の死)→ ノエティックステート →(テオーシス)→ コーザルステートに至るまで続いてゆく。

それを「シンボルオブライフ」で示すと、以下になる。

矢印神への上昇
(注)Noelが簡略化して作図、ダスカロスの著書にある図ではない。
パナヨッタ氏の「飛翔の翼」を読み、内容を修正(2024/2/13)

ほんとうの “自己実現” とは、永遠の命(ヨハネ福音書3章)としての “自己意識 覚醒させることであり、 10 → 9 → 6 → 8 → 10 のループを廻る転生 ↓ からの解放なのだ。

矢印輪廻転生
(注)Noelが簡略化して作図、ダスカロスの著書にある図ではない。
パナヨッタ氏の「飛翔の翼」を読み、内容を一部修正(2023/10/5)

ヨハネの黙示録 は、テオーシスに至るまでの “イニシエーション” を象徴的に綴っている。黙示録はエゴイズム人-悪魔)というに打ち勝つための “秘教的な教え” であり、個々の人間の内側で起きる “試練” を示したものなのだ(注:黙示録を グノーシス主義的 な 終末論 と結びつけぬように!)

人間は、“超自己意識に目覚めた「アセンデッドマスター」として7次元に帰還する(ルカ福音書15章)。

それは人間にしかできない宇宙の創造と発展への貢献であり、分離の次元に降りて来る意義として十分なものとなる。分離の次元は、エゴイズムの憐れな奴隷になって苦しむために創られたわけではない。それを教えるために、キリストは「」として、1 → 6 → 9 → 10 の路をまっすぐに降りてきた。

「内省」によって潜在意識の闇を照らす

すべての出来事、人、顔、情景、場所、そしてそこに来る人たちを明白に観るための内省を学びましょう。あなたはやればできますが、現在のパーソナリティーエゴイズムとしてではないことに注意しましょう。エゴイズムはそれをすることができません。今あなたは、自身の「エゴとしての自己」として動いています。あなたはコントロール下にあります。しかしながら、あなたがその状況や関係した人たちを観る時に、エゴイズムは繰り返し現れ、その行動があなた自身の行動だったように見せかけるために言い訳を並べ、事実に対して反論するでしょう。そのため、あなたの二元的な自己である、パーソナリティーのエゴイズム真実のエゴとしての自己」とを分けて捉えられるようにならなくてはなりません。そのために、継続的な内省が必要なのです。この段階で、あなたは大変注意を払わなくてはなりません。あなたにとって最も貴重な一瞬になります。

ーーー(中略)ーーー

捕えなさい! 「お前を捕まえたぞお前は私ではない。その瞬間に私のように振る舞っていたのは、私ではなかった。今、私は物事をはっきりと見ることができ、理性を働かすこともできる。あの瞬間、お前は自己を表現していない私をただ見ていたのだ。お前は私を支配して、愚かな行動をさせたのだ。

このように、内省において最も大切なことは、考える存在として、また理性を働かせる存在として、本当は自分が誰であるかを学ぶことなのです。あなたは考える力を持ち、理性を働かせる「エゴ」であり、調べ学ぶことにより、あなたのパーソナリティーである「悪魔」を支配することができるのです。

「真理の言葉」214‐216ページ、一部の太字化はNoelが実施

夜眠る前にその日1日にあったことを順番に思い出し視覚化し)、第三者の冷静な視点で熟考する 内省 は、シンボルオブライフにおける 10→8 の「労役の路」(ヘラクレスの12の労役)に該当する。

労役の道
(注)Noelが簡略化して作図、ダスカロスの著書にある図ではない。
パナヨッタ氏の「飛翔の翼」を読み、内容を一部修正(2023/10/5)

エゴイズム非活性化し、サイコノエティカル体 浄化する「12の労役」については、「ダスカロスの教えに学ぶ」シリーズ 終了後に考察記事を書く。諸般の事情で更新が滞っているが、遅くとも10月29日の月蝕までに課題を終えたい。