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中国語わかるようになると、華僑コミュニティがのぞけるから面白いよ
ゆずぽんさんと出会う
埼玉県出身、ケアンズ在住のゆずぽんさんとの出会いは、推し活。「ゆる言語学ラジオ」というYouTubeチャンネルのオンラインコミュニティで知り合って意気投合する。
言語好きで海外在住、少ないけどニッチな共通項を起点にテキストチャットはずらずら続いた。ゆずぽんさんは英語、私は中国語ときどき英語。ふだん胸の内に秘めている語学への熱量が、ここぞとばかりに爆発するテキストチャット。勉強や読書の楽しさを共有できるだけでも貴重なのに、それを深く共感してもらえることがさらに嬉しい。そんな会話のなかで私が言った一言が、ゆずぽんさんのワクワクをさらに誘発した。らしい。
中国語わかるようになると、華僑コミュニティがのぞけるから面白いよ
たしか、ゆずぽんさんが前にちょっと中国語を勉強したことがある、という話題がきっかけだったような。最近よくよく思うこと。華僑コミュニティはどこまでも広がりつづけていて、そして意外と優しい。もう少し正確に言うと、華僑コミュニティも中国語圏も世界中どこに行ってもかならず会う。意識して探しているわけでもないのに、気づけばいつも中国語と中国文化に囲まれている。週末に散歩がてらバスで訪れる香港でも、一時帰国の日本でも、このまえ旅行したオーストラリアでも。ことあるごとに私は中国文化圏に突入した。
香港で遭遇した中国語圏
例えば香港に遊びに行ったとき。 language exchange イベントに参加して、初めて会う人と話す。香港人と英語で話すと穏やかというか、お互いちょっとかしこまった姿勢で、距離がある感じ。
それが「私、中国に6年住んでるから中国語も話すよ」という話題をきっかけに英語から中国語に変わると、なんか一気に距離が近づくというかほぼゼロ距離になり、しょうもない定番のジョークでゲラゲラ笑って。(この定番のジョークも中国文化圏では頻出)スイッチがパーンと切り替わったように、初対面のよそよそしさは消えてなくなり、話は尽きない。
なんだろうね、中国語の特性みたいなもんかなあと。中国語にも敬語はあるけど、敬語を使って距離を保つコミュニケーションよりも、心理的に近づいてとにかくしゃべるのが友好の証、というか。これが香港の中国語圏の実体験。
オーストラリアの華僑コミュニティ
華僑コミュニティは中国語圏とはまた少し違っていて、世界各国で商売する中国にルーツを持つ人たち。中国人の経済活動つまり金を稼ぐ能力は本当にすごい。スキル全振りっぷりがすごい。ありとあらゆる手を使って成功をもぎとるよ、あの人たち。そして中国語で話しかけると、そのおこぼれに預かることができる。
例えば、旅先で中国語で話しかけると、大量の情報を共有してもらえる。今回はオーストラリアのツアーガイドと中国語で盛り上がった。地元の貴重な生活情報は旅行者にはありがたい。中国語はとにかくおしゃべりの言語なので、そういう情報を聞いて会話を続けていると、おやつや果物をどんどん与えられる。全部美味しかった。「同志」って感じがする。Wechatで連絡を続けていたら、そのうち海外でいきなり仕事も紹介してもらえそうな流れもあった。詳しい条件とかは聞かなかったけど。(前のめりで詳細聞いたらほんとに働き始めそうだった)
中国語話者になって見えた世界
こんな調子で、「中国語話者」という手形を見せると、門が開いてあれよあれよと色んなことが急展開で進んでいく。中国語のこういう世界が見えるようになったのは、中国語学習が5年目を過ぎたあたりから。
やっと、やーーーっと、自分の言いたいこと言って、相手の言ってることわかって、それに対応した会話をポンポンと続けられるようになって。「ああ、中国語わかるようになったんだなあ」と自然に思えた。
世界のあちこちでこういう体験をするたびに、中国語は単なる言語ではなく、人との距離を一気に縮める強い力を持つと感じる。英語でもたくさん会話をしたけど、ここまでの一体感はなかなか生まれない。
「中国語ができる=こっち側の人間」という感覚。どこに行っても、中国語が話せると「こっち側」として認識される感覚がある。「こっち側」に入ると、ビジネスの話、生活の知恵、おすすめの食べ物、果ては仕事の話まで、どんどん情報が流れ込んでくる。
日本語だったら、たとえば海外でたまたま日本人と出会っても、こんなに急速に距離が縮まることはあまりない。「同じ日本人だね!」という安心感はあるかもしれないけど、それで終わることも多い。
日本でのちょっとした感覚のズレ
こういう体験を経て日本に帰ると、ふとした瞬間に「あれ、日本語の会話ってちょっと距離があるな」と感じることがある。もちろん、日本の丁寧な言葉遣いや奥ゆかしい会話も好きだけど、中国語のスピード感と熱量に慣れたあとだと、少し不思議な気分になる。
だからこそ、華僑コミュニティの中に入ると、そのギャップがまた面白い。日本にいても、ちょっと中華料理店のレジで立ち話をしたら、その世界に一瞬で引き込まれる。「最近忙しい?」と聞くだけで、仕事の話、仕入れの話、時にはオーナーの愚痴まで(おいおい)、どんどん話が広がっていく。
結局のところ、中国語がわかると「中国語圏の扉」がどこでも開く。そして、その扉の向こうには、いつも人がいて、話し相手がいて、何かしらのつながりが生まれる。
気づけば、どこにいても中国語圏の扉が開いて、「こっち側の人間」としてその世界の一員になっていた。言葉ひとつでつながる感覚が面白くて、いまさら中国語学習の沼にハマってしまった。
往復書簡という形式でnoteをやってみる
こんな感じで、ゆずぽんさんとの出会いからおしゃべりがはずんで、質問がひとつぽこんと生まれた。「この質問から始まる、往復書簡みたいなnoteをやりませんか?」とゆずぽんさんからご提案をいただき、今回noteを書いた。noteが書けた。ありがたい。
またさらにおしゃべりを重ねて、テキストが好きなわたしはnoteを書いてゆずぽんさんの質問に答えて、おしゃべりが好きなゆずぽんさんはインスタのリールを撮りながらわたしの質問に答える、というスタイルに落ち着いた。ちょっとした新たな挑戦にわくわく。それぞれ、1つの投稿につき1回答、それから1質問を最後につける。今回の質問はこんなのにしてみた。ゆずぽんさんからのお返事が楽しみだ。
ゆずぽんさんへの質問:
「英語わかるようになったなあ、って実感するのはどんな時ですか?」