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瞑想によってみえる世界を追う

瞑想を長年続けている人にしか見えない世界があるらしい。
その世界のことを悟りの領域とか神秘と呼ぶ人もいる。

自分は10年くらい続けているけどそんなモノは見えた事はない。
見えるのはただ昨日あった嫌なこと、今日これから起こりうる嫌なこと、未来に起こる嫌なこと。
先輩から教えてもらった麻美ゆまの顔と健診で発覚した心臓疾患。
エロティシズムにたどり着けなかった動物的な性欲の汚穢と死に怯えるぶざまな生に気付き、その日の瞑想を終える。
浄化を目指すほど不浄なものが内から湧いてくる。己の不浄さに気付くこと、いや不浄こそが瞑想の目的なのではと思わせてくる。

"長年"というのはおそらく10年という単位ではなく、1億劫年単位の話なのかもしれない。それまでに地球はあるのか。きっと移り住んだ火星をも滅ぼし、きっと他の惑星も破壊していくのだと思う。ようやく自分が悟りを開いた時には銀河系はないだろう。

そんな瞑想初心者にありがちなニヒリズムを感じながら、思想書や哲学書を読み漁って数年。気づいたことは瞑想によってたどりつく神秘を拠り所にした思想、哲学体系は多いということであった。
イスラームや禅、ヒンドゥーがそれに当たると思う。
それら哲学は瞑想によって、言語とロジックの積み重ねでは到達できない領域に到達することができていると感じた。

果たして瞑想によって見える世界はどんなものなのであろうか?・・・

そこで私は数年前に買った「イスラーム哲学の現像」を開いた。
著者は井筒俊彦。仏教や道教、イスラーム、ギリシアに共通する思想、すなわち神秘主義を捉えてそれらを統合した広い意味での“東洋“思想を構築した。




そこには瞑想など個人的体験を通した認識世界を拠り所にする思想体系、すなわち神秘主義の概要がスケッチされていた。
神秘哲学の定義は大きく3ステップで整理できると理解した。

①リアリティの多層的な理解
目の前に広がるリアリティは、多層構造になっている。
目に見えるものはあくまて表層のみであり、深い層は、理性や知覚では捉えられない。
すなわち最も初歩的な理解としては、その理性では捉えられない深層も含めた、表層から深層全体がリアリティということである。

②意識の多層化
さらにリアリティだけではなく、リアリティを見る主体側、認識側の意識自体も多層化している。
そしてリアリティの多層と意識の多層は一致している。

③リアリティと意識の無碍化
さらに先に進むと、リアリティと意識自体の区別もなくなる。というか最初からない。
あくまで客観であるリアリティと主観である意識を区別するのは説明の便宜上であり、最初から主観も客観もない、主客合一である。
そして、深層に行くほど区別のない融通無碍な世界になっていく。
主客があると感じる世界はあくまで表層の部分なのだ。でもそれはリアリティと認識のほんの一部にしかすぎない。

ではどうしたら深層を捉えることができるのか?
意識と現実がお互いに連関した多層構造だとすると、意識の深い次元が開かれない限りその深層は見ることができない。
その意識の深部を開くための方法が、方法的組織的な修行。禅の坐禅、ヒンドゥーのヨーガ、荘子の坐忘なのであった。

つまり、
・通常の認識だとリアリティのほんの一部、表層しか捉えられない
・瞑想による修行によって深層を捉えることができる
・その深層ではリアリティと認識が混淆したカオスな世界になっている

というのが神秘主義のざっくりとした理解だと悟った。

はて、さらに詳しくその世界について知りたい、方法論について知りたいと思った私が気づいたことは、それには各宗教の膨大な聖典、経典深掘りする必要があるということだった。

かくして私は更なる宗教の旅路、浄の世界を目指した不浄の道を行くのであった。

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参考


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