無理のない無理。
いつからだろう。
年々、外に出ることが億劫になってきている。
もともとインドア派ではあったけれど、今は仕事も、買い物も家にいながらにして完結してしまう。
どうかすると、一日一歩も外に出ない日なんてのもあったりして。
そんな日は、まるで宇宙船で旅をするとはこういう気持ちだろうか、と想像してみたりする。
外には出られない。
窓からは変わらない景色。
そして、ここに居さえすれば安全だという、ゆるい安心感。
郵便ポストを見に行くことすら、ついつい後回しにしてしまう。
ひとり暮らしをしていた頃、家にいたくない衝動に駆られることがあった。
とにかく外に出よう、と近所を歩き回ってみたり、バイクで遠出してみたり。
ひとりでいることは好きだけれど、時折、ひとりでいないときの混沌とした疲労感が、狭い空間にどっと押し寄せてくるような気がして。
外にいると、それがうまく逃げていってくれるような、漠然とした安堵感があったのだと思う。
不思議なことに、年を重ねるうち、いつの間にかそんな感覚はどこかへ行ってしまった。
机上には赴かずして得た知識だけがたまっていく。
このまま籠っていてもなんら不具合なく生きていけるんじゃないかと思う。
雨が降っているから。
すこし疲れているから。
そうやって、ちいさな宇宙船で過ごす理由だけが増えていく。
思い出した。
籠る理由はかつて、籠る理由ではなかった。
新しい長靴を履きたくて、雨の中かまわず飛び出したり。
ひと晩中飲み明かして、翌日バンドの練習にぐったりしながら向かったり。
無理はできなくなっている。
そういうものだ。
しかし最小限の動きは、最小限の思考へと引っ張っていくように思えて。
ストレッチを繰り返せば身体がほぐれていくように、時々、ささやかな無理をしてみるのもいいかもしれない。
すると案外、無理ができる伸びしろも徐々に広がっていくのではないだろうか。
身体も心も、動かしていなければゆっくり鈍くなっていくものだと、戒めてみる。