人生に余裕ができた理由
こんばんは、ほしかなです。
今日は自分語りです。^ ^
なんとかなるしなんとかする
私はそう思えるようになってから
すごく余裕ができたし、ちょっとやそっとのことでは焦らなくなった気がします。
いちいち未来に不安になることもなくなりました。
今日はそのきっかけについて話そうと思います。
家族がバラバラになりそうだった事件
この事件ももう10年以上前になってしまったのか、という感じですが。笑
私が小学校5年生の冬、世界にリーマンショックってものが起こりました。
戦後最大の世界大不況ってやつですね。
うちにリーマンの影響がやってきて本格的にやばくなったのは小6からでしたが、うちも大打撃ドカーンという感じでした。
父には何ヶ月もお給料入らなくて、夕飯は毎日もやしで、
ローンが払えないから月々の支払額を落としてもらおうとか、今の家売って母と私と妹はおばあちゃん家に引っ越そうかとか、大人たちはそんな話し合いばっかりしてて。ママは毎日不安そうで。
母もバイトを探してたけど、私を妊娠してからずっと専業主婦だったからなかなかバイトも見つからなくて。母が泣いてるのも何度か見たり。
父も毎日ピリピリしてて怖かったです。会話するのにいちいち気を使ったし、今まで父にしていたおねだりすらできなくなりました。笑
当時まだ小6だった私は、子供ながらに家族が急に変わったことに恐怖を感じました。私たちを急に変えた、リーマンショックというものが怖かったです。
母と振り返った時に
大学生になって、母と酒を飲みながら話してた時に母が言った言葉
「大丈夫よ、リーマンの時になんとかなったんだから」
「あの時は本当に『もう終わった』と思ってたけど、今生きてるし、なんとかできたじゃん。」
それを聞いた時にフッて心が軽くなりました。
母はこの言葉を言ったことを覚えてないかもしれないし、私がこの言葉でこんなに楽になったなんて思ってもないかもしれません。
しかし母の言葉は「もしこの先、人生最大のピンチが訪れても、きっとなんとかできるんだ」と思わせるのに十分でした。
後になって聞いたのですが、父の年収はリーマンショック後、いきなり半分以下に落ちたみたいです。
リーマンの後に父は会社を変えざるを得なくなり、次の会社で安定してきたな〜と思った頃に中国ショックが起きてまたしてもその会社に居られなくなり、次の会社に移ったなんてこともありました。
なんかもう世界情勢に煽られまくる父の仕事に慣れてきて
どんな大きな○○ショックが来ても負けない自信はついていました。笑
大不況の中で会社を転々としながらも、ずっと同じ職について私と妹の養育費をなんとか稼いでくれた父。専業主婦をやめて、ほぼ毎日パートに出て私と妹を支えてくれた母。
両親の鑑だなと思います。
そんなわけでうちの家族は強いし、
なんかあってもなんとかすると思ってます。
生き延びることが目標
もし明日無職になっても、日雇いで1日8000円くらい稼げるし、大丈夫!
本当にピンチな状況になっても、生き延びるスイッチが発動してなんとか乗り越えれるみたいですし。
ピンチの時の合言葉は「生き延びる」
生き延びることを目標とするとだいぶ生きやすくなります。まず、"いい"大学に行く必要もないし、"いい"会社に就職する必要もない。
だから自分の好きなように生きる、と決めることができ、人生に余裕が生まれました。
さて、明日も生き延びよう☺️
以上、ほしでした!
またね!