愛でる、自分らしさ、そして生きる軸
皆さん、こんにちは。
今回のブログでは、私の根幹を成す「サッカー」について書いていこうと思います。
(サッカーの見方・考え方や戦術、技術などのサッカー論的な話ではなく、あくまで私という人間が「サッカー」というスポーツに対してどのように向き合い生きてきたのかを書いていきます。)
私とサッカーとの出会いは、5歳でした。
5歳からサッカーに触れ、現在までサッカープレイヤーとして向上していくことを続けてきました。
年で数えると17年間、そして18年目に突入しています。改めて数字だけを見ると、22歳という年齢からすれば、とてつもなく長い時間をサッカーにかけていると思えてきます。笑
私は、サッカーを「する」ことはもちろんのこと、「見る」ことも好きです。
ただ、私の場合、サッカーを「する」ことが好きになったと同時に「見る」ことが好きになったわけではありません。
「見る」ことが好きになったのは、中学1年生の頃でした。
なぜ見ることが好きになったのか、
最初は私の兄に対抗して、自分も好きなチームを持ってそのチームの試合を見てみようと思ったのがきっかけです。
その当時は、好きなチーム・応援しているチームを見つけてそのチームのファンになる兄の姿が、ただかっこよく見えました。
そんな理由から、好きなチームを自分で決めて、そのチームの試合を90分間見て、サッカーを90分間しっかり見ることの面白さに気づきました。(この面白さについては、後日、また改めてブログに起こそうかと思います。)
そして、サッカーをただ「見る」だけから、「学ぶ」ということも段々と取り入れていきました。
学ぶというのは、探求であり、プロの試合を見て「攻撃の場面ではこのように動けば誰にも邪魔されずボールをもらえる」、「守備の場面ではここに位置して相手を捉えたほうが守りやすい」など、考えるようになっていきました。
(実際のプレーに活かすことができたのは、1割くらいかもしれません。笑)
サッカーをするだけでなく、見ることを通しても、サッカーを深く理解していこうとするようになりました。
そしてその姿勢は、今でも変わっていないです。
このようにサッカーをすることも見ることも、当たり前になったのが中学2〜3年生から高校2年にかけての時期だったと思います。
そして、この時期と重なり、私はサッカーを「好き」から「愛する」という感情に変化しました。
「好き」と「愛する」の違いは何なのか、
言葉で表現するのであれば、「自分らしさ」というものが確立したのかどうかだと思います。
サッカーをする空間・瞬間、サッカーを通じて繋がる仲間、そしてサッカーを軸に生活をしている「自分」、それらのどれを切り取っても私は、「私」という人間を表現することができる、「自分らしさ」というものが確立しました。
(もっとも、そのようにしっかりと自分の中で自覚できたのは、大学に至る現在まで100%の熱量でサッカーに取り組んだこと、そして就活をして自分をより見つめるようになったからだと思っています。)
それでは、私は今、「サッカー」をどう捉えているのだろうか考えてみました。
私にとって、もはや「愛する」という感覚も異なるような気がします。
サッカーは、私にとってなくてはならないものであり、常に自分のそばで寄り添い続けてくれるパートナーのような存在です。そのような存在を、犬に接するように愛でて、一緒に遊ぶ。
そのような感覚に近いのかもしれません。
「サッカー」はまさしく、生き物のようなものであり、常に進化し続ける、人間にも近い存在であるとも捉えられます。(これはサッカーというスポーツに限らずどのスポーツにも言えることであり、この世界に存在するもの全てに当てはまるとも言えるかもしれません)
サッカーという生き物が存在していてくれるからこそ、私も新たな自分へと進み続ける姿勢を持ち続けていることができているのだと思います。
サッカープレイヤーとしてまだまだ未熟な自分が、終わりのない完成したプレイヤーに近づくため日々サッカーに取り組み進み続けている。その姿勢が、サッカー以外の生活に影響を与えているように。
一言で表すなら、サッカーは私にとって「生きがい」、「運命共同体」というものなのだと思います。
なんだかよくわからない感覚だな、と思う方もいると思いますが、
この「生きがい」であったり「運命共同体」というようなものは、意識しているかしていないか、自覚しているかしていないかに関わらず、あらゆる人に共通して持っているものではないのかと考えています。
それは、人によって様々なのはもちろんです。
私の場合はサッカーでしたが、
野球やバスケといった他のスポーツかもしれないですし、読書や映画・ドラマ鑑賞、音楽鑑賞かもしれません。
はたまた、仕事であったり、筋トレ、さらには誰かのファンになること(アーティストやアイドル、芸能人、スポーツ選手など)、今流行りのサウナに行くことかもしれません。
もっとも身近なものであれば、寝ること、話すこと、食べること、などといったことかもしれません。
今挙げた以上に、「生きがい」、「運命共同体」となるべきものは、世の中には溢れていると思います。それらのものは全て、昨日の存在とは違い、より完成された新しい存在へと進化し続けるように、生き続けていると思います。
人は誰しも、そういった「生きがい」、「運命共同体」に寄り添い、そこを軸として生きているのではないかと、私は思います。
自分にとっての「生きがい」、「運命共同体」が何なのかが分かる、自覚する、ということがきっかけで、「自分とは何なのか」、「自分の人生はどのようにあるべきなのか」といったことが見えてくるのかもしれません。
自分はどういう人間なのか、自分の人生はどうあるべきなのか、迷いや悩みが生まれた時は、自分の「生きがい」となるものを、「運命共同体」となるものを探してみることも、一つの手段なのではないでしょうか。
私は、私が生きているこの時代、この世界に、「サッカー」が存在してくれたことに深く感謝します。
どうもありがとう。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
感想や意見などあれば、ぜひ気軽にコメントしてくださればと思っております。
いろんな人の考え方が知りたいです。
引き続き、どうかよろしくお願いします。