【自分自身との関係】いつか遊びがモノをいう。(1/3)
タカシさん(仮名)。27歳。
Web開発会社の営業で働くタカシさん。
高校を卒業してから土木建設会社や運送会社で、現場作業員、トラック運転手として、いろいろと経験しました。その経験は、おしなべて、楽しかったそうです。
今はWeb開発会社の社長さんに請われて、その会社に転職し、やはりたのしくやっているそうです。
その屈託のない笑顔には、これまでされたであろう御苦労の微塵さもうかがえません。
タカシさんのお母様は20歳でタカシさんを出産し、大学を中退して、あっちこっちでパートをしながら、タカシ君を女手ひとつで育ててくれたそうです。当然、家は「貧乏」の一言。(ご本人談)
働きづめの母親と家で過ごす時間は、夜のほんの一時でしたが、お母様に甘えられたときはとても安心し、夜もぐっすり眠れたそうです。
タカシさんは小学校4年生から学校へ行かなくなりました。(つまらない)
中学校も、1年生の2学期から行きませんでした。(意味がわからない。)
高校は、一応、農業高校に進学しましたが、ほとんど勉強せずに過ごしました。(まったくやる気なし。)
大学は東京農業大学に一応合格しましたが、いろいろ考えて、結局入学しませんでした。(やりたいことがイメージできなかった。ご本人談)。
一緒に受かった同級生の彼女は進学。(余談ですが。)
ここまでお話を伺って、私は小・中・高とほとんど学校に行かず、勉強もせず、なぜ大学に合格するのか疑問に思いました。
土木や配送から、今はWeb開発・・・。
とても、一貫したキャリアを積んで今があるとは思えないし。
なによりも、いろいろとご苦労もあっただろうに、なぜ、そんな爽やかな笑顔でいられるのでしょう。
ウマたちと楽しい交流をつづけるタカシさんが、ここに毎日のようにいらっしゃる中1男子と、いろんな話をしているのを横で聞きながら、後で、これが理由かな?と納得するお話を伺いました。
それが、今回のタイトル。「いつか遊びがモノをいう。」です。
タロウさんとの出会い
タカシさんが、タロウさんやルーカスと出会ったのは全くの偶然です。
たまたま、馬場横の坂道を配送トラックで上がってきたときに、タロウさんと目があって、「おーい。」と声をかけられたそうです。
素通りする気になれず、馬場の脇にトラックを止めて、そばに歩いて行くと、タロウさんが「悪いけど、ここ掻いて。」といってお尻をむけて来たそうです。
いいのかな?と思いつつ、タロウさんに言われるままお尻を掻いてあげたら、「もっと掻け、やめるな。」と言われ、約30分くらい、延々とお尻を掻かされたそうです。
次回へつづきます。
※「いつか遊びがモノをいう」は、ナイキのキャッチコピーの一つ。
※ナイキ:アメリカ合衆国・オレゴン州に本社を置く、スポーツ関連商品を扱う世界的企業。設立は1968年。参考: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』