【自分自身との関係】いつか遊びがモノをいう。(3/3)
Web開発会社の営業で働くタカシさん。
小学校の4年生から中学3年まで、学校に行かず、社会人野球の大人達とふれあい、「社会」とか人の「生き様」を目の当たりにして過ごした6年間。
なんとか高校に入学することが出来ました。
今回はちょっと長め。ゆっくりと読んで頂ければうれしいです。
高校時代
読者の皆さま。タカシ君は高校に真面目に通えたと思いますか?
お察しのとおり・・・。
行きませんでした。真面目には。
高校に入学してから、とにかく座って、先生の話を一方的に聞いている自分の姿が、「時間を無駄にしている」気がして、その感覚に胸が詰まってしまったそうです。
タカシ君は、「共振」しないことや環境には、息が詰まるのだそうです。
我慢とか忍耐が出来ないのではなく、息が苦しいのだそうです。
小学校でも中学校でも、学校が嫌とか怖いとかよりも、「息が苦しかったんだ。」(本人談)
高校へ行かないタカシ君。どこへ行ったか。
湘南の海に行きました。
砂浜で風の音、波の音を聴いていると、心が静かになって、学校に行けなくて自己嫌悪に陥っている自分を、肯定も否定もなく見ることができたそうです。
どうしても自己嫌悪の気持ちを払拭できないときもあったそうですが、社会人野球の大人達のことを思い出すと、温かい気持ちになり、心が穏やかになっていって安心できたそうです。
しょっちゅう海に行っていると、サーファーのおじさん達が話しかけてきて、そしておもしろがって、コーヒーをごちそうしてくれたり、いろんなお話しをしてくれたそうです。
そのうちにお古のサーフボードを頂きました。
「乗り方は自分で学んだ方がおもしろいよ!風や波と友だちになれるよ。」
タカシ君が面白いのは、ここでサーフィンの入門書だけではなく、高校物理の教科書の「波の性質」を良く読んだことです。風などの外力、バランス、重心移動、釣り合い、ありとあらゆる事を物理と数学の教科書で独学で学びました。もともと勉強させられることには息が詰まりますが、「学ぶ」ということ自体は気分がいい。たとえ完全に理解できなくても。
運動神経もいいですから、サーファーのおじさん達が目を見張る早さで上達しました。
そして、気づいたことが、波乗りはめっちゃ楽しい!
波乗りで大切なことは「調和」。
それは「波との調和」よりも「自分自身との調和」。
自分と調和すると「波との調和」は自然に成立する。
だったそうです。(本人談)
学校の授業は息が詰まるけれど、学校自体は嫌ではない。
小学校や中学校と違って、ある程度一人の人間として扱ってくれる。
言い方を変えれば、「自己責任」。
「自己責任」なら僕のお得意技。(タカシさん談)
波の状態に合わせた学校生活。
波乗りしてから学校。
または早退(悪く言えばサボり)して波乗り。
そんな日々を約2年。
高3になって、同級生の彼女と同じ東京農業大学を受験。
真面目な彼女は推薦で合格。タカシさんは一般入試で合格。(奇跡!としか言いようがない。本人談)(私は奇跡ではないと思いますが。)
勉強嫌いでも、学ぶことが嫌いではないタカシさんは、おそらく、通学することが目的になっている生徒よりも、多くのことを学んでいたのでしょう。
「タカシは学校さぼってばかりいるくせに、たまに学校にいると、いい質問をしてくる。」と、よく先生から言われたそうです。(タカシさんの彼女談)
彼女に誘われて、彼女と同じ大学を受験して合格したけれど、自分が大学で何かを学ぶというイメージが湧かず、今度は、心から自分の意思で社会に出ることを選択しました。
ちょっと長くなりましたが、もう少しだけ、お付き合いください。
タカシさんのホースハーモニー
タカシさんは、タロウさんとの出会いからすでに声が聞こえていた!
それを聞いた私は、面白くて、タロウさんやルーカスとの絆作りの際、あえて事前の説明をせず、タロウさんとルーカスを一緒にして、そしてタカシさんを一人馬場に残しました。
タカシさんの心の動きは、ウマたちのボディランゲージから読み取れます。
タカシさん、馬場の真ん中で一人静かに目を閉じて、風の音や鳥たちの声を聞いています。
呼吸もとても静かです。5分くらいそうしていたでしょうか。
タカシさんが目を開けて、足を一歩進めた瞬間、タロウさんとルーカスも同時にタカシさんの方へ歩みよっていきます。
そして、タカシさんの手前1メートルくらいのところで、ウマたちが止まり、タカシさんが自分たちのパーソナルスペースに入ってくるのを受け入れました。
ちょっと厳粛な空気が漂っています。
タロウさんとルーカスが深ーく頭を下げて、地面にブルブルゥと息を吐きました。
この2頭がタカシさんを受け入れた瞬間です。
「あ、やっぱり、こうなったなぁ。」 私の予想通りでした。
最初はタカシさんのキャラから、おちゃらけた、砕けた雰囲気でいくかな?と思っていたのですが、タカシさんが馬場の真ん中で、周囲の自然を五感をフルにつかって感じている様子をみて、
ウマたちが彼に「一目置く」だろうなと思ったのです。
タカシさんの挨拶は、「こんにちは。はじめまして。」ではなく、
「僕はこういう生き物です。」でした。
そこにはウマの尊厳に対する敬意がありました。
いつか遊びがモノを言う
小さな頃から、ものごとの好き嫌いや周囲の価値観ではなく、
自分の体が、息が詰まるか否かで生きてきた。
そして息が詰まると、息が出来るところへいくタカシさん。
無心に遊び、周囲の温かいつながりに支えられてきた。
環境のせいにしたり、誰かのせいにしたりするいとまもなく、
「とにかく息が出来るところ」だけを切に求めてきた。
タカシさんにとっては、
野球もサーフィンも、「時間の無駄遣い」や「逃避」、「依存」などではなく、「生きること」、「呼吸すること」、そして「遊び」そのものでした。
古代中国の哲人、荘周の言行録である「莊子」では、「遊び」のことを、
「遊び」とは、人間の心と世界(道)を結びつけて、何物にも囚われれない主体的で自由な心の在り方のこと。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
と、あるそうです。
つまり悟った人の心の在り方です。
だとすると、世の大人達の言い方である、
「遊んでばかりいる」は、「悟りの境地を生きている」
「遊んでばかりいないで早く宿題しなさい!」は、
「悟りの境地にばかりいないで、早く迷いの世界に戻りなさい!」
タカシさんの場合、
自分の心と世界が結びつかないところは息が苦しい。
何物かに囚われて、主体性を奪われる環境が息苦しい。
だから、息が出来る場所を求めたのでしょう。
あえて、ホースハーモニー風に言わせて頂ければ、
「今を生きている姿には、侵しがたい尊厳がある。」
だから、タロウさんやルーカスが、タカシさんに敬意を払ってくれたのだと思いました。
「いつか遊びがモノをいう」は、スポーツ用品の「ナイキ」のCMです。
タカシさんは、周囲の大人との温かいつながりがあったことは幸運です。
でも、タカシさん自身が「遊ぶ人」であり、「学ぶ人」。
なによりも「今を生きている人」だった。
このような「心のあり方」でいたから、どんなときも、誰かと温かくつながってきたのだと思います。
本人が意識していなくても、「遊び」がモノをいうとは、このようなことをいうのではないかなと思います。
タロウさんとルーカスとの絆作りの様子を見て、そのように感じました。
タカシさん、ありがとうございました。
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長くなりました。
最後までお読み下さりありがとうございました。
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おまけ
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今、この瞬間、ただひたすらにサッカーボールに心を向ける。
周囲との関係がすべて、このボールに向き合う自分のためにあることを疑う余地もなく。
無心で、このボールを追う少年達。
一瞬たりとも止まることのない状態。
ステージが変わっても、無心でボールを追い、誰かに届け、
そして最後はゴールに打ち込むこと。それだけを目指して。
無心になってボールに向き合うことが許される環境。
無心になにかをしている人を邪魔してはいけない。
せっかくの「瞬間」が台無しになる。
語り尽くせない気持ちがこのビデオに集約されています。
そしてそれを、「いつか遊びがモノをいう」と一言で表現してしまう。
こんなCMをつくるナイキ。きっと「遊び」がわかっていると思います。
そして、現実にタカシさんのような「遊ぶ」社員もたくさんいるのかな?とも思います。
何回でも見てみてください。いろんなことにお気づきになると思います。
※「いつか遊びがモノをいう」は、「ナイキ」のキャッチコピーの一つ。
※ナイキ:アメリカ合衆国・オレゴン州に本社を置く、スポーツ関連商品を扱う世界的企業。設立は1968年。参考: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』