見出し画像

#58多様な私達の誰もが分かり合えるのはなぜか~馬との交流で学んだこと~

 こんにちは、人馬交流分析士のりょーじ(@Horse Value)です。人馬交流分析って何?りょーじって誰?それをやって何になるの?という疑問への答えは#1をお読みください!

 さて、#40ではH.O.R.S.E.理論と交流分析の関係のお話をしてきました。大まかにお話しすると、僕が馬との交流で得た気づきである「人間は本来H.O.R.S.E.だよね」という理論と交流分析の人間観がすごく似ているよ、というお話をしました。
※H.O.R.S.E.理論について詳しく知りたい方は、#7や#28、#29を読んでください!
※交流分析って何?という人は#30~#39を読んでください!

 とはいえ具体例を交えていかないと中々分からないと思いますので今回から、僕が学びを得た馬と人との交流を、交流分析を用いてより分かりやすく説明していきます。

 今日のラインナップはこちら!
・私たちはそれぞれが根本的に違う(#26)という考え
・交流分析で見る私たちの共通点
・なぜ私たちはお互いの違う所ばかりが見えてしまうのか

 今回は、#26でお話しした僕と馬との心理的交流を取り上げていきたいと思います。これによって「体験→気づき」のプロセスがより鮮明になり、その時に僕が感じたことをより皆さんに分かりやすい形で説明できると思います!

 早速行きましょう!

私たちはそれぞれが根本的に違うのか?

 人間関係の中で、どうしてこんなに考え方が違うの?とかどうしてこんなに価値観が違うの?と思うことはたくさんあると思います。そしてそれぞれの人の価値観が違うのは当たり前だと思います。価値観というのはその人がどのような経験をしてきたかに基づいているものですし、同じような経験をしてきたとしてもその体験の捉え方によって価値観は大きく異なります。

 では、それは私たちが根本的に異なる、ということを意味するのでしょうか?

 これまでお話してきたように私はそうではない、と思います。根本的には私たちは同じシステムを持っていると考えています。

 #26でお話しした例を改めてお話ししましょう。人間はなぜ怒るのか、というお話です。そういう風に聞かれると、人間は色々なパターンで怒るし、なぜ怒るかは人によって違う、という風に思うかもしれません。

 でも実はなぜ怒るのか、ということをより深く突き詰めて考えていくと本質的に共通する部分がある、と考えます。

 その深く考える手法として、何人かの人で「どんなときにご自身が怒るか」「どんな時に誰かが怒っているのを見たことがあるのか」について一緒に考えて議論してみる、というものがあります。そうすると「怒りの原因」の共通する部分が見えてきます。

 周りに人がいないときはご自身の経験の中で色々想像してみてその共通点を見つけようとするのでも十分にそれが達成できます。

※実はこれは、哲学の現象学という分野で「どのように物事の本質を掴むか」という手法に基づいたやり方です。これについてはまた別の機会にお話しします。※

 僕の中でそんな風にして出した結論は「怒りは自分の期待や望みと現実が違うことにより引き起こされている」という考えです。馬鹿にされたと感じたとき…何かが上手くいかなかったとき...。全く異なる別の原因に見えるものは実は1つの共通点でくくることができるのです。

 怒りというのは「何かを期待する→現実は期待より低いと認識する→怒る」というシステムが働いている、という共通項です。

 これはあくまで現段階での僕の考えなので、そうでないパターンで人が怒るのを見たことがある、という人は教えてほしいです。そんな色々な意見を集めて共通点を再検討することで、さらに本質的な答えを見つけることができるからです。

 今までお話ししてきたことをまとめると、この怒りという1つの感情においては、表面的には違う原因が引き起こしているように見えても実は共通するシステムが深いところにある、ということがいえます。全てを今説明することはできませんが、様々な感情にそのような共通システムがある、という風に考えます(現象学でも交流分析でもそのような立場を取っています)。

交流分析で見る私たちの共通点

 交流分析においては誰もが共通のシステムを持っているということが大前提になっています。人は誰もが5つの自我状態を持っている、というのは驚くようなシンプルで画期的なまとめ方だと思います。

 ここまでお話してきたように、僕自身は馬との交流体験、そしてそこで学んだことを理解し整理する上でこの交流分析はとても分かりやすく役に立つ理論です。

 この理論を信じると決めて体験を当てはめているのではなく「実際の体験とそれをどう感じたか」ということに交流分析が言っていることがピッタリ当てはまったという感覚です。

 そもそも「私たちは共通して5つの自我状態を持っている」ということは最初はなかなか信じることができないと思います。自分はその5つを持っているとしても、自分が理解することのできない「あの人」がそれを同じく持っているとは思えないこともあるでしょう。

 例えば、自分に厳しく当たってくる人には「あの人にも優しい親のようなNP(養育的親)があるのだ」とは中々信じがたいと思います。

 僕も昔はそんな風に思っていました。交流分析という理論を知る前でしたが、「あの人には誰かを愛するとかそんな一面がないんだろうな」と誰かのことを判断していた時もありました。でも馬との交流の中でそれは違うんだ、と知りました。

 #49で話したように、馬にも5つの自我状態があることに気づいたからです。そして、#26でお話ししたように馬との交流の中でも人間同士のコミュニケーションのような感情の交換があって、その中で共通するシステムで感情が動くんだ、ということに気づいたのです。

 例えば、先ほどの「怒りは自分の期待や望みと現実が違うことにより引き起こされている」というシステムは馬にも共通していると、馬を観察する中で僕は気づいたのです。そんな風に、自分と馬との共通システムを知る中で、人と馬でこれだけ共通項があるのだから人間同士でも同じ感情システムが働いているはずだな、と感じるようになりました。

 そして交流分析という学問は、それを見事に説明してくれていると考えています。

なぜ私たちはお互いの違う所ばかりが見えてしまうのか

 そのように感情のシステムが同じで、誰もが同じ5つの自我状態を持っている私たちが、お互いの違う所ばかりを見てしまうのでしょうか。

 僕達は「個性」と「誰もが同じシステムを持っている」ということが共存していると考えることに慣れていないからだと思います。

 人は生まれながらにして特別で、唯一無二で、だけど誰もが共通するシステムを持っているんです。交流分析ではその両立を見事に表現しています。

 「誰もが5つの共通する自我状態を持っているが、その上でどの自我状態がどのくらい優位かは人によって違う。その人のエゴグラムというのは世界でたった1つのものである(エゴグラムについての説明は#37を読んでください)。」ということです。

 僕達はこのことをなかなか理解できていません。多様性、というものが組織内で注目される現代社会においていつも強調されるのは「違いをどう活かすか」です。

 確かに組織を強くする上では、個性をどう活かすかは非常に重要です(#34でそのお話をしました)。ですが、そんな考え方はいつしかひとつの考えを生みます。「私たちの違った価値観はそれぞれ別のシステムから生み出された何かだ」ということです。

 僕たちは皆同じシステムを持っていてかつ唯一無二の存在なのです。

 改めて「個性に注目しよう」「それぞれの個性を伸ばそう」ということは「それぞれ本来全く別のシステムを持つ存在である」ということとは違うんだ、ということを強調しておきたいと思います。

 僕たちは誰もが共通するシステムを持っています。これが僕が馬から学んだものをまとめたH.O.R.S.E.理論の大きな前提となっています。人は、誰もが共通のシステムを持っているからこそ、共感できるし、お互いが反射的に相互に影響しあうことができるのです。

【今日のまとめ】誰もが唯一無二だけど誰もが共通するシステムを持っている。この両立を理解することが本当に重要なことです。それを信じられるからこそ「みんな分かり合える。」と信じられます。だからこそ「みんな違ってみんな良い」と思えるんです。

 明日も一日頑張りましょう!


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?