ソフィア・コッポラ監督「SOMEWHERE」が描く“ダメ”な男
「ロスト・イン・トランスレーション」のソフィア・コッポラ監督が2010年に手掛けた作品。
この4年前に、キルスティン・ダンストさんを主演に迎えた「マリー・アントワネット」という華やかな極みといった作品を公開している。パッと見た感じの世界観は「ロスト・イン・トランスレーション」に“戻った”ような感じだ。
登場するのも、ほとんどスティーヴン・ドーフさん(父親役)、エル・ファニングさん(娘役)のふたりだけ。父娘の交流を描くスタンダードな手法だが、結末ありきの物語のような気がして、「ロスト・イン・トランスレーション」で見られた“魔法”はさして感じられなかった。
「SOMEWHERE」
(監督:ソフィア・コッポラ、2010年)
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本作では、一貫してスティーヴン・ドーフさん演じるジョニーの“ダメ男”ぶりが描かれる。俳優として活躍し、フェラーリを乗り回す彼だが、妻と別れた後は「空っぽな男」としてホテル暮らしをしている。
仕事以外は、基本的に内向き。部屋から一歩も出ず、気軽にセックスができる女性を招く。(気分によってセックスしないこともある)
そこにエル・ファニングさんが演じた11歳のクレオが登場する。前妻に「しばらく預かっていて」と頼まれ、一緒にホテルで生活したり、ともに仕事場のイタリアに行ったり。最初は戸惑うも、サマーキャンプ前の時間をジョニーは愛おしく過ごすようになる。
内向きだったジョニーの変化を、この作品では「外に出る」ことで描いた。
娘と一緒にカジノ(?)的なところへ遊びに出掛けるシーンは象徴的だろう。それまで内向きで、気の合う仲間としか接さなかったジョニーが外へと足を向ける。
これは最終的に、ジョニーが“住んで”いたロサンゼルスの高級ホテル「シャトー・マーモント」を出たことにもつながるのだろう。何をするにも意思・意欲がなかったジョニーが「外へ」と意識が向き、そして行動に移す。残念ながら映画はその辺りで終わるのだけれど、“ダメ男”からの脱却の萌芽がみてとれる。
だが、ラストシーンを切り取って、ジョニーの変化=「成長」と捉えるのは早計だろう。
クレオとの別れのシーンで、ジョニーは「そばにいてやれなくて、ごめん」と謝る。だが謝った場所が悪すぎる。ヘリコプターの真横で、ジョニーの声はたぶんクレオには届いていない。そんな間の悪さというか、トップスターとして不自由ない暮らしをしてきたジョニーならではの人間性がよく現れたシーンだ。
ホテルを出たジョニーは車を走らせ荒野に出るも、どこに行くのか分かっていない。そういった意味の「SOMEWHERE」というのであれば納得だが、まだまだ実際のところは「NOWHERE」というのが相応しいだろうと僕は思った。
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冒頭でやや辛辣な形で記述したが、たぶんそれは、ソフィア・コッポラ監督の「リアル」と「ファンタジー」のファジーな描き方にあるのだろう。
それは監督にとってのシグネチャーではあるのだが、論理を超えて、奇跡のような“魔法”を感じられなければ、どっちつかずになってしまう。
前述したクレオは、どこまでもまっすぐで穢れがない。いまどき小学校1年生だって、社会に対してもっと辛辣な攻撃性を発揮するだろうに、クレオは両親を尊敬し、愛している。
前述の通り、ジョニーはダメ男だ。俳優として成功しているけれど、親としては最悪。そんなジョニーに対してクレオが“普通に”愛情を向けているのが、あまりにフィクショナルで僕にはちょっと耐え難かった。
ただ考えてみると、僕は父娘をテーマに書いた作品がそれほど好きではないのかもしれない。2023年公開で、周囲が絶賛だった「aftersun/アフターサン」もいまいち乗ることができなかった。
ソフィア・コッポラは映画づくりにおいて、カルチャーとの結びつきを自然とつくれる稀なフィルムメーカーだとは思う。どこに力点を置いて映画づくりに臨んでいるのか、もうちょっと見極めていきたい。
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