ポリアモリーの悩み、考え、喜びを可視化する。(荻上チキ『もう一人、誰かを好きになったとき〜ポリアモリーのリアル〜』を読んで)
カジュアルなタイトルですが、ページをめくりながら常に発見がある読書体験でした。お勧めです。
『もう一人、誰かを好きになったとき〜ポリアモリーのリアル〜』(著者:荻上チキ、新潮社、2023年刊行)
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あなたは、差別をしない人間ですか?
正面からこのような問いを掛けられたとき、「Yes」と答えられる人は少ないだろう。口外することは憚られるものの、特定の国や地域、コミュニティに対してネガティブな感情を抱いていたり、無意識的に誰かを貶めていたりするようなことは、誰しもひとつやふたつはあるのではないだろうか。
ただ、確実に「Yes」と言わしめる問いがある。
あなたは、差別的な規範を強いる環境に属していますか?
選択的夫婦別姓や同性婚が未だ立法化されていない現状はすぐに問題視できるわけで、自らがそういった世論に賛成か / 反対かとは関係なく、僕たちが生きる日本という国は様々な差別的な規範が蔓延っているといえるだろう。
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さて本書、『もう一人、誰かを好きになったとき〜ポリアモリーのリアル〜』について。
本書は、ポリアモリーに関わる多くの当事者へのインタビューが収められた書籍だ。著者の見解や海外で発表された論文なども紹介されている。
ポリアモリーは、モノアモリーと対になる交際形式だ。一対一で恋愛する形式のモノアモリーに対して、ポリアモリーは複数の人と同時に交際する形式である。言わずもがな、日本という国はモノアモリーが規範となった社会で成り立っている(といえる)。
もちろん当事者間の同意というのが絶対条件ではあるが、例えば婚姻関係にある夫婦(この言葉もまた異性婚を前提としたものだ)がいて、片方が不倫をしたら。便宜上「不倫」という言葉を使ったが、それは「婚姻関係にある夫婦は、生涯にわたり一対一の関係で添い遂げるべきだ」というモノ規範が社会における共通の前提だからだ。
だがポリアモリーの当事者(マイノリティだ)は、肩身が狭い思いをしている。「打ち明けたらヤリチン(ヤリマン)だと言われるのではないか?」「浮気した自分を肯定していると思われるのではないか?」なんて心配を常日頃しているというのだ。
いやいや、それって周囲の心無い一言であり、僕(私)はそんなふうに思わないよ。
だが、仮にあなたが「わたし、あなた以外に好きな人ができたんだよね」と言われたらどうだろう。少なくともポリアモリーの人たちは、自身の関係指向がマイノリティであることに悩み、カミングアウトすべきかどうか逡巡しているというのだ。(実際、「ポリアモリーは、モノアモリーよりも自殺率が高い」という調査結果も出ている)
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ポリアモリーに関して、著者の荻上チキさんは「多くの課題があるが、まずはその存在が認識されていないことが大きい。不可視化された当事者は、社会システムから排除されがちである」と話す。
つまり本書の目的は、ポリアモリーという存在を読者に知ってもらうことにあるといえよう。
荻上さんはエピローグでこのように記している。
最近、僕は読書や映画鑑賞をした後で、後ろめたい気持ちを抱いていた。
知ることは重要だ。
だが、知ったところで、ほとんど何もアクションできなければ意味がないのではないか。知って満足している自分はいやしないだろうか?
だけど荻上さんの言葉を読んで、「知ることは、最初の一歩だ」と思い直すことができた。見えない状態は「お化け」のように、不安や恐怖を大きくさせる。だけどそれらが見えたときに「『お化け』はいない」と分かって安心するように、案外、そういうものだよねという納得や共感を持てるのではないだろうか。
知ることは重要だから、まずは知ろう。
本書はガイドブックというよりは、ケーススタディに近い。そもそもポリアモリーといっても、ひとつに規定されるようなことはない。誰もがグラデーションの中で存在している。
彼らの声を聞くこと。
その実践の積み重ねこそ、「多様性とは何なのか」という問いに対する答えが見えてくるのだと僕は信じている。
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ポリアモリーの議論とは異なるが、TBSラジオ「武田砂鉄のプレ金ナイト」にて、法学者の木村草太さんと差別について議論を交わしていた。
そもそも差別とは何か?差別の問題を考える上で何を押さえるべきなのか?などが語られている。併せてチェックしてほしい。
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