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大日如来わらじみこし祭りを知っていますか?
ガッタガタの体調であった。新年明けて、微熱と扁桃炎が続き、朦朧とした意識のなか過ごしていたのであった。
私には、不安があった。
この体調のままあの祭りに参加するのかと……!
わらじみこし祭りを知っていますか?
第二の故郷、米沢。の、隣町、高畠。ここで、年に一度のとんでもない祭りがおこなれていたのだ。
実は、これに参加するのは、ずっと前から決めていた。
私と米沢の一番最初の繋がりはココ。
米沢と出会い、知り始めてからそろそろ一年が経とうとしていた。
当時にはもうすでに、わらじみこしの話は聞いていた。
雪灯篭祭りの準備の時に、話を聞いていたのだ。
スタッフ挨拶が終わり、竹あかりの準備に取り掛かった時。
「え、同じくらいの歳だよね?」
気さくに話しかけてきた男の子がいました。
「先月、隣町のお祭りに参加したんだけどさぁ、めっちゃヤバかったんよ! ほぼ裸みたいな格好で、水かけられてホント死ぬかと思ったんだよねぇ!」
もうほとんど一年前の記憶だけど、仲良くなった米沢大好きな同世代が話してくれたことは、ずっと頭の中に残り続けていた。
写真も見せてくれた。
男の子二人、女の子二人、相田さん一人。
男女問わずさらしを巻いて、びしょ濡れになりながらカメラに向かってガッツポーズしているのが、目に焼きついて離れなかった。
「雪も降っててさぁ、なんなら雨も降ってたからね。もう一回体験したらいいやってなるからね、マジで。絶対行かない方がいいよ」
この時には、「山形県ってすごいお祭りがいっぱいあるんだなぁ」って思うだけで。
「すごいなぁ、いいなぁ」と思うばかりで。
まさかその数時間後に米沢にどハマりするなんて思ってもみなかったし、あれから一年結構なペースで通うなんて思ってもみなかった。
計算してみたら、7回行ってた。やばい。往復700キロちょいちょいである。
雪灯篭から約一年、自分がこのお祭りにまさか参加しているとは。去年の私は夢にも思わなかっただろう。お祭りの存在を教えてくれた同世代には感謝だ。
その同世代っていうのはまっくって言うんですけど。彼とは今でも仲良し。
わらじみこし祭りとは……。
高畠に祀られている大日如来は足の神様。
昔から靴とか下駄を奉納するところであった。かつて、町内会で何かお祭りにできないかと考えたところ、
「でっけぇわらじを神輿で担いだら面白んじゃないんか? いや、それだけじゃつまらない。真冬に裸で担いだら面白いんじゃない!?」ってアイデアがスタートらしい。
それがだんだん大きなお祭りになっていったそう。
やがてそのアイデアは四年に一回作られる「大わらじ」を神輿に担いで、町内を練り歩くお祭りになった。
いっとき、神輿を担ぐ「担ぎ手」少なくなってみこしを担げないほど人手が少なくなってしまっていた。
みこしが担げないなら、お祭りもできない。
そうなった時に、「せっかく始めたんだから、続けたい」と、町内会から大日如来の保存会を立ち上げてより多くの人へ届くように、新しい体制をとった。
そんな経緯で、米沢と連携。
米沢の若者が高畠へ赴いて担ぎ手になった。人手不足は一気に解消されて、再びわらじみこしは復活したのだった。
そこに関わっていたのが相田さんだったそう。
相田さんは私をヒトカタリを教えてくれた超ハイパー恩人でかつ、今も情熱を燃やしまくってる大好きな人。
これも相田さんから聞いた話。
これでわらじみこしは、またできるようになるけれど、約束を二つしてくれって言ったんだ。
まずは、高畠で今まで担ぎ手として頑張ってきた若い人に「米沢からの若者が担ぎ手になること」を了承を得ること。やっぱり人手不足が、米沢で解消されたっていうのはあんまり面白くないんじゃないかなぁって思ったわけ。だから、そこはちゃんと確認を取ってくれって伝えた。
それから二つ目は、これから連れてくる人たちに神輿の正しい担ぎ方を教えてくれってこと。やっぱり一緒にやるって言っても地元以外の人たちは「参加させていただく」身。そこはちゃんとしたいと思った。
まぁ、「まずは楽しんで欲しい」ということで、自由にさせてもらったそうなんだけれど。
一回目は若者もたくさん集まって、どんちゃん騒ぎ。
大盛況で終了することができた。
それ以降は、「町内会のお祭り」から「高畠全体でのお祭り」にまで規模が広がった。
このお祭りは、一年のうちで大人気になり、人手不足も米沢からわざわざ連れてこなくても、悩まされることは無くなった。
けれど、あれからもいろんなところから噂を聞きつけて、魅了されていろんなところから「担ぎ手」が集まってくる。
それを毎回高畠の人たちは「よく来たね。ありがとう!」と温かく迎え入れてくださるのだそうだ。
お祭りの主役である担ぎ手が高畠の人のみならず、米沢、さらには私のような超県外の人でも参加できるのは、これまでのつながりがあってこそ。
そのご縁と、出会いに感謝しかないなぁ。
14日 朝。
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14日の午後から本番だけれど、準備は朝から始まる。私は夜行バスで14日早朝に米沢に到着した。他のメンバーは前日に。
大集結したメンバーは東京静岡神奈川などなど、いつもながら津々浦々。わらじみこしに興味津々なメンバーが集まったのであった。
前日からグループラインは大盛り上がりで、飲めや歌えの大騒ぎ。
バンバカ流れてくる写真を見ながら「いいなぁ~」と夜行バスに揺られました。
いつもは新幹線や車で米沢に行っていたけれど、今回が初めてのバス利用。
冬タイヤを履いていない私の車では雪国に向かうことはできないのだ。
電車とバスを乗り継いで向かう旅も、悪くない。好きな本を読みながら、たまにうたた寝をしながらゆったりとした時間が過ぎていく。
普段どれだけ慌ただしく過ごしていたのがわかるくらい、ゆったりした時間を過ごせたのだった。
バスに乗り込んで、六時間くらい。
まだ日の登っていない米沢駅に私は降ろされた。
早朝に米沢に到着すると、去年の雪灯籠を思い出すような寒さ。いや、それよりかは優しい寒さだったかな。
雪はまだ降り積もっていなかったようだったけれど、自分の住んでいるところでは体験できない冷たい風がびゅうっと吹きつけた。
しばらくすると、ことちゃんが迎えに来てくれる。
駅から相田ハウスはそこそこに遠いのである。
夜遅くまで飲んで語っていたのにこんな時間に迎えにきてくれるのた大変にありがたかった。
眠たい目を擦って、運転してくれることちゃんは、久しぶりに会ったような、昨日ぶりに会ったような、不思議な感覚。
相田ハウスには、転がりっぱなしのお酒が昨日を物語っていて、まだ眠っている人ばかり。
まぁまだ朝の6時だからね。ただし、三十分後くらいにはもう出発です。
朝の7時に集合して、お札集めが始まるのでした。
このお祭りは、昼間みこしで町内を歩く「わらじみこし」と、町内で集めたお札や去年の縁起物を夜に燃やす「おさいと焼き」の二部構成になっている。燃やすお札や縁起物を早朝から町内の家々を巡って集めるのだ。
ゾンビみたいにフラフラしながら顔を洗ったり歯を磨いたりしているとあっという間に出発時間。相田ハウスには初めまして〜な人もいたけれど、挨拶もそぞろに準備をしなくちゃと慌ただしい。
着替えと財布だけ持って、相田ハウスを飛び出しました。
米沢から高畠町まで三十分ほど。冬の山形の景色を楽しみながら、そして車の揺れでうとうとしながら、みんなと話をする。
なんだかんだで、関東で会った方が早いのに、米沢で会う人たちばっかりだ。
打ち合わせ会場は公民館。大わらじが祀られている大日如来のすぐ近くに位置するその場所で、最初の打ち合わせと、やることの確認を行っていく。
私達はちょっと遅れて入室したけれど、誰も気にせず話を進めていっていた。中には三十人くらいのおじちゃん達が座っている。いや、もっと多かったかな。
はっぴを受けとって、打ち合わせが終わると、相田さんが挨拶する番が回ってくる。
「せっかくね、各地から来てくれた若者達なので、一人ずつ自己紹介していこうか!」
怒涛の自己紹介タイムが始まる。
「ちゃちゃです!」
「むぎです!」
「さよねぇです!」
「ことです!」
「せれです!」
……。
誰も本名を言わない。
いや、この表現は正しくない。誰も、フルネームを言わないのだ。
自分の言いたい範囲で自己紹介をする。別にそこに対して「本名は?」なんてツッコミもないわけで、その場にいる人もそこまで気にしていないご様子。
むしろ、次はどんな名前が飛び足すのは楽しみにしているよな気配まであった。
まだまだ続く、他のメンバーたちの個性豊かな自己紹介。
これがひと段落すると、午前の作業がはじまる。
「みんな担ぐの?」
「はい、そうですっ」
「いいねぇ。頑張れよ」
初対面のおっちゃんが、まるでずっと顔見知りみたいなテンションで話しかけてくれる。もうすでに、この場所の一員になれたみたいで嬉しかった。
お札集めに繰り出すメンバーと、集まったお札や縁起物をお斎灯の中に詰め込むメンバーに分かれます。
このお斎灯も本日の主役アイテム。私は後者のグループへ。
服を着ていても、はっぴを着ていても、寒いものは寒い。これから服を脱いで、もっと寒くなるなら……私は一体どうなってしまうねんと恐怖と不安に震えながら、お仕事を手伝います。
河原の土手に立派な齋灯が出来上がっていた。
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バケツリレーの要領で、積まれているものを次々に運んでいく。
軽トラに乗っていたのは、正月飾りや、竹あかり。ここでもまた会えたね。
なんとなく懐かしい気持ちになりつつ、それらを斎灯のなかへ。
「中がカビちゃうとダメなんだ」
竹あかりは自然からもらってくるもので、作ろうと思えば、たくさん取ってきて作れる。
けれど、防腐処理をしないから、自然の流れに沿って、腐っていく。
家にある竹あかりも、もうカサカサだ。
使い終わった竹あかりは、正月の派手なダルマと一緒に燃やされていく。ありがとうと、お疲れ様でしたの気持ちで、天にお焚き上げをするのだ。
作業がひと段落すると、みんなで焚き木の前まで走ってあったまる。乾燥した竹は手に刺さるのだ。その痛みを、火のあったかさで和らげる。
「おうい、火を消すなよぉ」
遠くでおじさんがからかう。
「消さないよぉ」
親戚のおじさんよりも近い距離になった、気がした。
ビニールシートに軽トラから届いたものを転がしていって、裾を引っ張って斎灯までひっぱりこむ生活の知恵を披露してもらって、思わず歓声。
縁起のいい鯛の置物やだるまが転がっていくのは、なかなか見られない景色だ。
お斎灯がいっぱいになったころ、「手空いてる人いたら手伝ってくれぇ」と今度は大わらじの神輿の方に移動する。ボルトを締め直したり、かざりつけをしたりする。
「大体どれくらいの重さなんですか?」
「3…400キロとかかなぁ」
「すげぇや」
作業の合間にポツポツと話しながら、どんどんおじさんと仲良くなります。ちなみに、登場しているおじさんは全員違うおじさんです。
おじさんの名前は全員知らない。おじさんたちも、多分あの一瞬の自己紹介では名前を覚えていない。知らないもの同士、ただ「わらじみこしを盛り上がる」という共通点のもと、そこにいるだけなのだ。
大わらじのブルーシートを剥がして、雪を拭き取る。これをみんなで担ぐのだ。
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一通りの仕事が終わり、時計を見るとまだ時間は午前を指している。
着替えだったりご飯を食べたり売るのは、まだだいぶ先だ。これからどうしようか、そう思っていると……。
公民館の一同、もう酔っていた。
まぁ郷に入ればなんとやら。熱燗とビールをいただいて、テーブルへ。
ノリと勢いで熱燗をもらったはいいものの、実はそこまでお酒に強くない私。寒い冬には日本酒が似合う、がまだよく理解できないお年頃なのである。
ちびちびと飲みながら、はじめましての人やおじさんと他愛のない話をする。なんでもない話だし、特に情報があるわけでもないのに、ただなんとなく時間が過ぎていく。
去年のわらじみこしの話、出身地の話、最近起こった事、今年は女の子がたくさんいて嬉しい……などなど色んなことを話す話す話す。
人がいっぱいいれば(ついでに酔っ払っていれば)言葉の流れは尽きないのである。
「もう今日からみ~んな娘!」
おばさんが宣言する。
「やったぁ!」
キャッキャと喜ぶ私たち。どこからそんな話になったのか、まったく覚えていないけれど、とにかく高畠に家族ができました。
みんな娘になったので、おばさんがおかあさんに。お互いに名前も全然知らないのに、あっという間に家族になれたのである。
14日 昼。
気がついたら時間は進み、お昼になった。
弁当が運び込まれ、酒を片付けてお弁当を食べる。全部食べ終わったら、また酒を飲む。
まだお札集めから帰ってきていない人もいたけれど、それを頭の片隅に置きつつ、お酒を楽しむ楽しむ。
「これからが本番だってのに!」
いよいよ着替えの足袋と短パンを選び始めた頃、ハイペースで飲みまくっていた人たちは眠りこけていた。
昨日も飲んだもんね……。
気がついたらビールの空き瓶が何本も転がっている。普段は進まないお酒をぐいぐい飲んだ私もテンションが上がってきた。
「頑張れそうな気がしてきた〜!」
大きめの独り言を言うと、
「そのままのテンションで担いでくれよ。寒いと正気に戻るから」
おばさん、改めおかあさん(又の名をママ)が、声をかけてくれる。
ヘラヘラ状態の私は「まかせてくださいよぉ!」とアルコール混じりに返事をしていた。
この時の私は、本気でこの寒さを乗り越えられると思っていたのだ。
思ってしまっていたのだ。
寒い
着替えの時間になった。女子は別室で着替えるが始まる。
おじさんのご好意で、家をまるまる貸してくださっており、そこでサラシを巻いたり、するのである。
公民館で、男衆の中で着替えをするのは流石に忍びない。こういう配慮があるのは有り難ことだ。
「これから、「ありえな〜い」とか「信じられな〜い」とか思うかもしれないけど、大丈夫だから。ここにいるオッサンのことは優しい妖精さんだと思って」
上裸に、さらし。
下は頼りないポリエステル素材のショートパンツの二枚履き。
防寒性とは真逆の装備である。
さらしを巻くのは、おじさん。
なんとなく察していたことだったけれど、ようやく合点した。
まず、このクソ寒い時期に布を巻き付けた格好で外に出る異常性。
そして、初めましてのおっちゃんに上半身を見られると言うこと。
恥じらいをドブに捨ててきた小娘とはいえ、初対面のおっちゃんに上半身を見られるのは、抵抗があった。
なぜか。
まぁ、普段異性に見せないからねというか……それだけの話なのだけれども。
「まずあたしが見本を見せるから、その後に続いて!」
まずはおかあさんが着替えの見本をみせてくれた。堂々と上裸でいるおかあちゃんからは、色気よりも漢らしさがあった。
あ、恥ずかしがる方が恥ずかしいのかも……?
さらしを巻く時の体制や、気の持ちようを丁寧に、ダミ声で解説してくれる。そのワイルドな感じ、すごくかっこいい。
「全身を委ねる感じでいればいい。胸を張ると呼吸が苦しくなるからね! だら〜んとして、肩とかに掴まればいい」
当たり前のように、さらしをぐるぐる巻かれていくおかあさん。
羞恥心だとか、そういうものが一切感じられない。恥じらいとか、ある方がおかしいのか……?(考察の余地あり)
だんだんと固定概念が崩されていったところで、私たちの番になる。じゃんけんで決めた順番で、最初の子はモジモジしてたけど「妖精さんや!」のおかあちゃんの声でだんだん緊張もほぐれていく。
ビールをもう一杯。判断力が鈍れば、繊細な気持ちは沸かない。
別に、さらしを巻くだけで、おっちゃんたちは肌にも触れない。
おっちゃんの視線は乳房ではなく、さらしをいかに上手く巻くかしか考えていないようだった。
「恥ずかしいです……」
「三つあるなら恥ずかしがってもええ! 別にみんなとかわらんやろ!」
「豚じゃないんだから、大丈夫!」
「せめて牛だろ」
「そういう問題なんですか?」
暴論である。
「お腹出てるんですよねぇ」
「お前の腹が出てようが出ていなかろうが俺には全く関係ねぇ」
その通りである。
人体に、ただ布を巻くだけ。
そこにあるのは恥ずかしさではなく、伝統行事への誇りだけだった。
さらしをしっかりと巻く。伝統行事にふさわしい格好になる。
ただそれだけの空間では、裸であるということは単なる記号でしかない。肉体に布を巻くだけの状況に、下心も欲もクソもなかった。
巻かれている時に「ピギュッッ」と聞いたことない声を出したらさすがに「笑わせるんじゃねぇ」と怒られたけれど。
力が抜けると、しっかり巻けないからである。
さらしを全員まき終わり、今度は手拭いでハチマキを作る。
腰に黄色の飾り紐を結べば、「担ぎ手」の出来上がりだ。
あとはわらじを履かせてもらって、いよいよ本番へ。
もうこの時点で酔いは良い塩梅に回っており、ちょっとでも横になったら寝てしまいそうなコンディション。
もう十分すぎるくらいにいろんな経験をして、かなりお腹いっぱいになったけれど、ここからが本番なのだ。
ここからが、本編なのである(前振りながっ)。
玄関を出ると極寒の風が吹きつけてきた。
「さむっ! さっぶ!」
あれだけ飲んだアルコールも一気に吹き飛んだ。あの時のヘラヘラしたテンションはもう戻ってこない。
正気に戻った。
戻ってしまった。
気温は0度。雪国らしい気温。
快晴なのがまだ救いだ。
寒い寒いと言いながら小走りで大日如来のもとへ。
首から下げる木札を受け取って、お祈りをし、いよいよお神輿だ。
今回の歩くコースは、例年よりも短い距離だという。
そうは言っても、初参加の私にとっては長くても短くても寒いものは寒いのだ。
文句を垂れても担ぐことは決定している。
まぁもちろん、とんでもなく駄々をこねればきっと着替えて見学もできたのかもしれないけれど、そんなことするつもりは毛頭なかった。
なんのために来たのか。
担ぐためだろと。
後戻りすることはできない。このまま帰ることもできない。
腹を、括った。
普段は絶対しない紙コップいっぱいの日本酒をぐいっと飲み干して(お酒激弱の私が!)、気合いを入れた。アルコールを全く感じなかった。水のような気がした。あの一瞬だけ私に東北魂が乗り移ったのだろう。
ただひたすらに体全身が叫ぶ「寒い!」をなんとかしなくちゃと細胞が動いていた。
「女子、前の方!」
おかあさんの声のもと、私たちは前に集まる。前方の方が力がかからないのかな?
「いくぞぉぉぉおお」
「おぉぉぉおおおおお!」
音みたいな声で、みこしがふわっと浮き上がる。しがみついて、それを支えた。
ホイッスルの音に合わせて「わぁぁぁああっしょぉぉいいい!」とかけ声。
夢中でそれに合わせた。声のような、音のようなものが響き続ける。
神輿がずしっと肩にのしかかる。
普段では絶対にかからない重さ。
吹き付ける風。
寒さ。
全部が非日常で、見える景色が全部夢みたいに思える。
でも、現実なんだよなぁ。
よくわからないまま叫び、よくわからないまま練り歩く。
初めて歩く高畠の町は、「道路が広いなぁ」くらいしか覚えしかない。雪国は基本的に道路が広い。米沢もそうなんだけどさ。
あぁ、だから神輿が通れるんだなぁと、ぼんやり考える。
無我夢中で動くお神輿についていく。
ここ、どこ? わかんない。でも歩かなきゃ!
大きな「うねり」となって、お神輿は進んでいく。大きな交差点でぐるぐる回ったりもする。
男とか、女とか、おじちゃんとか、おばちゃんとか、若者とか、子供とか、全部の垣根がなくなっていた。
「極寒のなか、裸同然の姿で神輿を担ぐ」ことを共通点に、わたしたちは進み続けたのだった。
ここがどこなのかとか、どのくらいの速度なのかとか、何月何日なのかとか、全部が関係のないところにいたような気がする。
私が何であっても関係ない。
ただひたすらにお神輿を前へ、前へ。
そんな無我夢中のなか、何度も正気に戻らされる瞬間があった。
お清めするための水をかけられる瞬間である。
このわらじみこしの最大の鬼畜ポイントである。
大わらじに対して、そして担ぎ手に対して、冷水を道ゆく人がぶっかけるのである。
ある人はバケツ、ある人はコップ、ある人はたらい……それぞれの器に、水を入れて「今年一年良いスタートを切れますように」って願いを込めて担ぎ手にかけるのだ。
これの冷たいこと冷たいこと!
バケツを構えて待ち構えている人が、容赦無く中身をぶちまける。綺麗に弧を描いた水の軌跡は、吸い込まれるように私の顔面に。
男とか、女とか、おじちゃんとか、おばちゃんとか、若者とか、子供とか、やっぱり全部関係ないのだ。
何度か休憩ポイントがあって、そこではバンバン日本酒やワイン、熱い麦茶が提供される。それに、待ち構えていたテレビ局の人からの取材も受ける。
もう頭も回ってないから突き出されるマイクにひたすらに「寒いです!」と叫び続けることしかできない。放送できないだろうな……。
慣れている人は、冷静に受け答えをしていたけれど……。
私はただ震えながら、酒を飲み干すことしかできなかった。
アルコールをエンジンに、ではないけれど。いや、そうなんだけれど。
寒さの感度を減らすためには別の感度を取り入れる必要があった。五感バロメータの圧倒的「触感」の存在感。
これを打ち消すためには、別の王道感覚(嗅覚、聴覚、味覚、視覚)での相殺は見込めない。だったらどうする? もう酒だと。そういうことですね。
空きっ腹にアルコールを入れてはいけないと先人たちはあれほど口酸っぱく言っていたのに、初手日本酒がぶ飲みをキメた私。
もはや怖いものなど何もなかった。
山形県産フルーツをふんだんにつかったワイン。結構いい値段のしそうな日本酒。他の子達と、肌を寄せ合い、縦に震えながら、次の出陣を待ちます。
雲間から現れた太陽に、心の底から「ありがとう」と言うことができました。まさか、自然に心の底から感謝する瞬間が訪れるとは。
24歳冬。世界はまだまだ広くて未知だ。
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これがなかったら私たちは休めません。
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相田さん、いい笑顔ー!
その繰り返しが、4、5回ほど続いて、最後に女性陣が神輿に担ぎ上げられて、ゴールをしましたよと。
何度も言おう。本当に寒かった。
解散のアナウンスが聞こえるや否や、私たちは一目散に走り出します。
本当に、本当に寒いのだ!!!
日がかげり、気温がもっと下がっていく。のにも関わらず水を浴びて、私は
生まれたての子羊状態。
女の子たちはおかあさんも引っ張り込んで、お風呂に飛び込みます。
計七名が、一人暮らしの狭めなお風呂に入るわけです。千と千尋のヒヨコの入浴シーンみたいな感じになりました。
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家主のおじさんが一番寒い思いをしながら、私たちにお風呂を貸してくれたのでした。
優しさと一言で片付けるには大きすぎるあったか~~~~い感情がそこにありました。
さて、これでひと段落——ではなく。
まだまだわらじ神輿は終わらなかった。
14日 夜。
大変なことに、わらじみこしのお祭りは、夜も続きがある。
そう、「おさいと焼き」が——
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もう何も言うまい。
極寒の夜の高畠を、松明片手に練り歩くのだ。
……まぁ、水をかけられることはないけれど。
約1kmの道のりを、松明片手に急ぎ足で練り歩く。
お神輿ほど重くはないし、水もかけられないわけだから、そこまでの負荷はない……。
って思うじゃん。
夜なのだ。
夜ということは、昼よりも気温がもっと下がるということ。
ついでに風も吹いている。
とめどなく流れる鼻水を啜りながら、震えをごまかしごまかし練り歩く。
「わっしょい」の掛け声も忘れずに。目の前の人にただついて回る。
ここがどこなのか、何時なのか、どれくらい歩くかなんて関係ない。
私はただ、今この瞬間を生きているのだ。ただそれだけ。
ちょっと(だいぶ)寒くて、ちょっと非日常な格好をしているだけで。
絶対1キロ以上歩いた道のりの中、道端にぽつんぽつんと立っている人がいます。
家の窓から覗き込んでいる人もいます。
「おうい、がんばれよぉ」
そう声をかけてくれた人たちがいました。
その応援の声が嬉しくて、「もっと頑張っちゃうぜ!」の気持ちが大きくなる。
寒さも一瞬忘れて、あったい気持ちがぽわっと湧く。ああ、この「がんばれよぉ」のために、高畠まで来たのかもしれない。それくらい、うれしい気持ち。
夜ご飯も終わった時間に、さらし姿のいろんな年代の人たちを、見ている人がいる。
昼間に、水をぶっかけるのもそうだけど、お祭りは参加者だけが楽しいものじゃない。
見ている人、応援してくれる人がいて、初めて成り立つのだ。
それが、体感できて嬉しい。
見る側も、辛い寒さを経験しなくても、お神輿を担がなくても、同じように「楽しいっ!」を分かち合っているような気がして、とてもとても嬉しかった。
たった一言の「がんばれよぉ」をたくさん聞いて、そんなことを考えていたらあっという間にゴール。絶対1キロ以上歩いていたと思うのだけれどね!
さぁ、お祭りはいよいよ大団円へ。
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朝に作ったお齋灯に、松明を立てかける。乾燥した藁にはみるみる燃え移って、すぐさま火が燃え上がった。
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「はやくこっち! 危ないよ!」
誘導する声。あっという間にあの藁の輪郭はなくなっていて、代わりに火の壁が現れた。
あっつい。
あれだけ渇望していた暖かさがようやく来たと言うのに、全然嬉しくなかった。
熱すぎですやん。
極端ですやん。
前髪がもうすでにチリチリ焦げそうな感じ。汗が滲みそうな暑さの中、私はお斎灯から目が離せなかった。
自然というもの。火というもの。
普段身近にないものがここに集まっている気がした。
大きく燃え上がる火の秩序の無さ。人間が操ろうと思っても、絶対に不可能なこの圧倒的な力。
自然って、こわい。
火って、こわい。
でも、それと同時に美しいんだ。
この時初めて、「美しい」というのは、単なる褒め言葉や、何かにポジティブな価値をつけるための言葉ではなくて、自分の手に及ばないものをおそるおそる形容するための言葉なんだと気づいた。
美しいなぁ。
そう思えるのは、きっと私には作れない何かがあるから。
私が——人が——触れることのできない何かがあるから。
食い入るように見つめる。眼球が痛い。見すぎて乾いてきた。
「そろそろ終わるよ、戻ろっ!」
手を引かれ、ふたたび公民館へ。
私のこの自然への気づきは、もうちょっと経ってから改めて考えなくちゃ。
これで全てのプログラムが終了した。
朝から実に12時間以上が経過していた。けれど、あっという間な気もするし、ものすごくながーい時間過ごしたような気もする。
朝初めて会った人とは、もう何年も付き合いがあるような受け答えをするし、なにより家族が増えていた。
着替えて、途中で着るのも脱ぐのも面倒になって中途半端な格好でスマホをいじったりもした。
はじめて会った人の家で、である。
私が図太いのか、まわりの「もう家族でしたけど?」な雰囲気がそうさせているのかわからないけれど、心も体も解放されていた。
「なんか、こういう雰囲気いいよね。本当に親戚の家に遊びに来たみたいで」
「ね、また来たくなっちゃうよね」
私だけじゃなかった。
みんなそう思っていたようだ。
「そういうヤツは来年こないんだよぉ!」
おかあさんの嘆き。まぁこのあたたかさを感じるのと同時に、真冬の中服を脱がないとならないおまけ付きなのだから。いや、おまけじゃなくてこっちが本コンテンツなんだけれども。
でも、私はまた来年も行きたいなぁって思うんだ。
このあったかい雰囲気も好きだし、お祭りの雰囲気も好き。そりゃ寒いけど、寒い以上に人と人とが繋がれる何かがあるような気がしているんだ。
さて、大宴会。
高畠の市長さんやら保全委員会の会員さんやら、担ぎ手やらなんやらかんやらが一堂に介して注文された弁当とお酒を食べる飲む。ヤクルトもあった。
ガツガツごはんを食べて、「コロナになる前はおじちゃんの奥さんたちがご飯を作ってくれた」って話を聞いた。
ご飯のところでも、本来だったらいろんな関わり方できたのかな。でも、この弁当も誰かが作ってくれてるんだよなぁ。ううむ、どっちも捨てがたい。揚げ餃子を頬張ります。
だんだんお酒が回ってくると、みんな座ってられなくなる。
席を移動したり、ふらふら立ち歩いたり、帰り支度を始めたりと思い思いの行動をし始める。
秩序も、ルールもない。
やりたいようにやる。ただ、飲ませすぎ厳禁。それくらいで、話したい人は話し、のんびりしたい人はのんびりする。
私はそこそこに疲れていた。むしろなんでみんな元気なんだってくらい元気で、その様子を見ているだけで十分だった。
うとうとしていると、おじさんが同じ格好で寝転んだ。
さらしを巻いてくれたおじさん——ナベさんだ。
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ナベさんは神輿の先頭でホイッスルを吹きながら、神輿のコントロールをしてた、さらにおうちを快く提供した気持ちの良いおじさんだ。
慕っている人も多くて、ナベさんが寝っ転がっていると、すぐに地元の若い人が寄ってくる。
「飲みましょうよぉ」と、すでにグデングデンの子にも快く対応して、コップに注がれた酒を飲む。
「ガキだ。飲むペースを考えてないな」
苦笑いしながら注がれた日本酒を飲む。
雪国の人あるあるなのだが、ものすごく酒が強い。
宴会場にはもうすでに何本も空の一升瓶が転がっている。まだまだ飲むらしく、いぐっちゃんをはじめとした若者達がいそいそと調理場から酒を運んでくる。
私は昼間にがぶ飲みしたせいか、匂いを嗅いだだけで酔ってきそうだ。
ちょっとだけ、気になってナベさんに聞いてみる。
「高畠のお祭りで、県外からいろんな人がくるじゃないですか。なんでめちゃくちゃウェルカムなんですか?」
本当に素朴な疑問。
相田さんのお話から、米沢と高畠のつながりを知ったけれども、高畠の人はどう思っているんだろう。
米沢のみならず、今回のメンバーは関東やら東海やらとバラエティ豊かな場所からやってきている。
米沢にいたら当たり前みたいに感じるけど、高畠はどうなんだろう……と、不意に聞いてみたくなったのだ。
ナベさんは目を丸くさせて、ちょっと考えてから口を開きます。
「まぁ、それが高畠の普通だからかな」
「普通、ですか」
「誰が来ても良いし、誰が来なくても良い。来てくれたら歓迎する。それだけ」
「それだけ……」
「別に歓迎って言っても、お客様って感じでもてなしてはないだろ? 適当に転がしたり、手伝ってもらったりしてる」
確かに、歓迎っていっても、おもてなしではなかった。
一線を引くわけでもなかったし、ただ、そこにいる人として受け入れてもらっただけだったのだ。
そこにいるのが誰だろうが、どんな所属でどんな人間なのかは全く関係ない。ただ来てくれた、ただいてくれた。そこにいる「その人」を受け入れるのだ。
「だからまぁ、別にウェルカムな感じも何もないよ。これが普通」
「普通かぁ」
ナベさんの——高畠の「普通」は、あったかくて、しあわせっ!が詰まっていた。
私がお祭り中に感じていたなんとなぁくな「男とか、女とか、おじちゃんとか、おばちゃんとか、若者とか、子供とか、全部の垣根がなくなっていた」感覚が、言葉になって立ち現れた。
いいなぁ、素敵だなぁ。
その人を真正面から「その人」としてみる。意識してやろうと思っても、できない。
心の底から、何の意図も忖度も何も考えずに、ただ心からしたいように動く。
ナベさんだけじゃない。この公民館が、宴会場が、そうだったのだ。
ちょっと見渡せば、同じようにやってきたメンバーが、おじさんたちと話している。
酒を酌み交わして、ゲラゲラ笑ってる。昨日まで他人だったわたしたちが、一つの空間でしたいことをしたいようにして、過ごしている。
ああ、この空間。好きだな。
「アイツ(おかあちゃんのこと)は去年の子達が来ないって言ってたけど、俺としてはどっちでもいいんだ。きたければこれば良い。二年後、三年後にきたっていい」
まってるから。
ナベさんのやさしーーい顔がとても眩しくて、込み上げるものがありました。
「来年もきます……」
「おうよ」
ちょっと震えながら、おそるおそる。
来年なんてどうなってるか約束できないけれど、おおわらじだけは絶対に行きたい。そう思った。
この嬉しい気持ちを、この幸せな気持ちをどうすればいいんだろう。
ここで結ばれた縁が、ありました。きっと私はナベさんを忘れない。ナベさんは……酔っ払って忘れているかもしれないけれど……モニョモニョ。
確かに今、私はナベさんを介して高畠と繋がりました。
ああ、また行きたい。また帰りたい。
この場所で、みんなに会いたい。
米沢に続いて、第三の故郷ができたとさ。
後日談
さて、わらじ神輿も終わって、次の日の昼くらいに帰ろうかなぁとなんとなく考えていたら、相田ハウスでまったりしすぎてその日の夜に帰ることになった私。
その日の昼過ぎからえげつないほどの雪が降り出していたのだ。数時間立たず、米沢は白銀の世界へ大変身してしまった。
もし今日が昨日だったら、私たちはどうなっていたことでしょう……。
なんて英検2級みたいな構文で想像しながら、思わず身を震わせる。大雪デーが今日でよかった。そして、雪が降るのを穏やかな気持ちで眺めることができて本当に良かった。
米沢ラーメンを食べて、これからどうやって生きていこうね、なんて話をしたり、
温泉に浸かって、こんな毎日が続けばいいね、なんて話をしたり。
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そして、相田さんの誕生日も翌日に控えており、
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お誕生日をお祝いして、みんなと夜行バスに乗り込みました。
笑いっぱなし、しゃべりっぱなしの長い長い1日に幕が降りた。
最初の計画のままではこんなに楽しいことを経験せずに終わってしまうところでした。
全てが全て、計画通りに進む人生と、全てをその時の流れで「こうしたいなぁ」とふんわり決めて進む人生。私は後者の方が魅力に感じるな。
それを許してくれる環境に身を置きたい。
私の中で、また一つ人生の指標、みたいなものが生まれた瞬間でもありました。
Special Thanks
今回のわらじみこしの活躍、とても素敵な写真がいっぱい並んでいるとは思いませんか?
被写体の人たちが生き生きと、力強く描かれていると、そう思いませんか?
思うよね?
実は、この写真たち、カメラマンとして走り出したことちゃんが撮影したものなんですっっっ!!!
そのまんま、自然体な人物撮影を得意とし、心を写すカメラマンとして現在は修行を重ねているとのこと。
写真って、何気なく撮ることが多いけれど、プロと趣味の違いはかな〜りあります。
構図や、角度、人の細かな表情のキャッチの仕方、色味などなどきっとここに挙げるよりもたくさんのことたち……。
これらを瞬時に脳内で計算して、人を捉える。
途方も無い仕事だ。
とんでもねぇ。だからめちゃくちゃ素敵な写真が撮影できるのであろう。
高畠の「やってやるぜ!!」な叫びが今にも聞こえてきそうな写真の数々。
もっとたくさん写真はあるのですが、私のお気に入りを厳選しました。
普段は、人物のスチール(静止画)撮影を行っているとのこと。
「これはいい写真だ!!」と思ったら、ことちゃんのインスタグラムをのぞいてみてください。
もっと素敵な写真があります。
あったかくて、ことちゃんの見える「人」の姿がそのまんま描き出されています。
この写真と共に、あの楽しくて美しいお祭りを振り返ることができた。私はとっても幸せ者だなぁ。
言葉で足りないところは映像で、映像で足りないところは言葉がおぎなう。
あの最高の瞬間を言葉から、映像から、思い出すことができるのだ。
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