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『私たちに厳しく指摘をしてください』と言う時点で成長は止まっている

指示待ちvs.意志待ち第2弾は会社幹部が言う「厳しい指摘」のお話。

これは書くか書かないか迷いました。なぜなら私自身、仕事柄「他の方が指摘しないような厳しいことを言ってください」という要請によってお仕事になっていることが多いのです。ただ、私自身も講師、コーチ、コンサルとして新たな成長を重ねていきたいので、甘えから脱しようと思い、あえて書き記します。

厳しい指摘がほしい=成長していない

結論、『厳しく指摘してください』と言う時点で、その人や組織は成長していません。

特に会社の幹部クラスが、
「厳しく指摘をしてほしい」
「今回のコンサルは厳しいことを言ってくれた」
「今回のコンサルは思っていたよりも厳しくなかった」
こんな考えである限り若手は見放していくでしょう。

成長していない2つの理由

理由は簡単です。2つあります。

1つ目。厳しい指摘をもらうとは、他者からの変化を期待しているからです。言い換えると、「心では自分は変化したくはない」が、「変化しなきゃいけないことは頭ではわかっている」ということです。わかっているのにやらない。これを一般的には「逃げ」といいます。

2つ目。会社幹部にしては視座が低すぎます。本来幹部クラスは自らのビジョンを掲げることで現状との差分を明らかにする。これが着手すべき【問題意識】を見つける態度になるわけです。。それは必然的に厳しいものであり、着手すべき意義を見出すものでしょう。

一方で、①ビジョンが見当たらない②現状を直視していない、このいずれかの要素によって【問題意識】は生まれません。

問題意識がない日常とはどうなるか。幹部クラスともなれば過去の成功にあぐらをかけます。一方で世間は変化の必要性が増々高まる。この、例えるなら「暦の上では冬のはずなのになぜか南国気分」という気持ち悪さが、『厳しく指摘をしてください』という言動になるわけです。

したがって①ビジョンも②現実も言葉になっていない会社幹部は視座が低いと言えるでしょう。

グループコーチングのトレーナーとしての覚悟

抉るような指摘をしてほしいということは、どのようなコンサルタントでも一度は期待されたことがあるでしょう。その厳しい指摘によって経営や人事がほくそ笑む。指摘による変化を期待するものですから。

この構図は、自分の事業の成長のためならご期待に応えることも吝かではありません。特に「研修」という立ち位置なら、その一時の行動変容が喜ばれるものです。

しかし、多くの場面で研修で大きなショックを受けた人が「結局はもとに戻った」という話しを聞きます。

ゆえにこの問題の大きな闇を感じます。つまり、

『厳しく指摘してください』と言う時点で、その人や組織は成長していない

ということ。

だから決めました。もちろん、

①ビジョンを設定するお手伝いはさせていただきます。

②現実を直視するお手伝いもさせていただきます。

ただ、上記の2つを一緒に伴走した結果、依然として他者からの変化を期待するような企業・クライアント。こうしたケースは私の信条として伴走を中断することにいたしました。お互いに幸せなエンディングを迎えられないとわかっている以上、時間もコストもかけるべきではない。

最近そんな事をよく感じます。

部下の、顧客の現状を自分から知りにいくこと

最後に、厳しい指摘を待つのではなく、厳しい現実を見にいってください。


今日も真面目に顧客に、製品に、対峙する部下。

家族が健康に気遣って弁当を用意してくれたものの、仕事の用事が押して夕方にあわてて口にかきこみ、帰宅時に「美味しかったよ」とお礼を言う社員さん。

暮らしに困り、言葉にならない不安を抱える消費者。

顧客が誰に相談したらいいのかもわからず、不安から感情的になり、その感情を受け止める若手社員。

その人達の情報を自分の目と耳で集め始めたら、とてもクーラーの効いた涼しい会議室で「指摘がほしい」という発想にはならないと思うのです。

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