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この仕事は“生きとる”と感じられるんよ

 当時わたしは報道記者を目指し、あるテレビ局の報道局でバイトをしていた。そこはいつも戦場のようだった。最新の情報、よりインパクトのあるネタを追い求め、ギラギラバタバタ、まさに臨場感のある場所だった。記者の方たちはみなさんプライドをもっていてかっこよかった。そして、なにもできないバイトではあるが、そんな場所に一緒にいる自分に初めは満足していた。

 バイトにも慣れてくると、周りも見えてくる。より大きい記事にするために、色んな手を使って行う取材。どこよりも早くネタを仕入れるために、どんな繋がりも生かすやり方。お子さんが熱だという保育所からの電話にも出られない現実。

 自分のプライベートも削りながら、仕事に取り組むその姿勢をすごいと尊敬しながらも、自分にできるのかと現実的に考え始めた頃、教員免許も取得可能な大学へ通っていたわたしは、教育実習へ行くことになった。

 「免許持っていたらいいかな。」ぐらいの気持ちで参加した教育実習。担当教官は大きな身体の熊さんのような温和な男の先生だった。

 温和そうなその先生は実は、とても熱い情熱をもっている人だった。生徒のことをよくみており、一人ひとりに対してここまでは高めてやりたい!と考えて指導を行うような人だった。

 ある子が苦手なことを一歩進んで頑張った時には、本当に嬉しそうに褒めてやっていた。仲間はずれをしていることがわかった時には、涙を流して「それじゃいかんやろ。」と語っていた。授業参観では、親にも考えてもらわないかんと言って、自作の命の授業を行っていた。

 今どき、、と言ってはなんだが、こんな愚直に真っ直ぐに人と向き合っているのだと、わたしは衝撃的だった。そんな熱をもっているのだけれども、わたしたち実習生に対してもいつも丁寧に接してくれていた。

 実習も終わり、最後にみんなでご飯に連れて行ってもらった時、少しお酒を飲んでいたその先生は気持ちよさそうに話してくれた。

 「教師はええよ。“生きとる”と感じられる。」

 この言葉はこのあと、自分の就職活動を考える基盤となった。そして働いて行き詰まった時、愚直ばかりが出る時、そんな時にいつも思い出す言葉になった。自分はこんな風に思える働き方をしているのかな…と。

 あれからずいぶんと経つが、あの時ほどいい顔で自分の仕事のことを語る人にわたしはまだ出会っていない。

#この仕事を選んだわけ

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