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一元観エピソード9〜ぽかさん編〜

noteという電子の海では、時に人に書かせる勇気を与えてくれることがある。

ぽかさんは『おぬきのりこ』さんの記事を読み、『そい』さんのコメント欄でやり取りをした際の出来事を通して、この企画に参加しようと思い立ってくれた。

トラウマって、誰にでも大なり小なりあるものだと思います。
男前なぽかさんであっても。

あばれはっちゃくのお父ちゃんの名ゼリフ
「てめぇの馬鹿さ加減にはなぁ、父ちゃん情けなくて涙が出てくらぁ」って言われそうってぽかさん書いてるけど、そんなこと言わないと思うよ。

逆立ちしながら私はそう考えたよ。


ぽかさんはマブダチにしか話したことのないエピソードをほんの数回コメントを往復しただけのそいさんのコメント欄になんとなく書き込みしたといいます。

ぽかさんは、そのコメントの中のそいさんの言葉にさらに救われたと表現しています。

先生に言われた言葉によって自分が勝手に救われたとぽかさんは解釈して納得させているけれど、自分がその時救われたと感じたのなら、それは真実だと、私は思う。

ただの感想だとしてもそいさんがおっしゃるように、寄り添ってくれたものなんだと私も思います。

言葉というものは、伝え方、捉え方によっては、悪にも善にもなりうる。

良いと思って発した言葉も時に悪に感じさせてしまうこともある。

悪とまでいかなくても受け取り方は人それぞれだし、伝えたかった想いと伝わる想いがすれ違ってしまうことも起きてしまう。

同じ言葉でも感謝出来る時とカチンと来る時もある。

それは、人によってだったり、自分の精神状態によることもある。

人が発した言葉の真相はわからないことの方が多い。

だからこそ、色んな角度から様々な想いを感じ、一元観で受け取れるようになりたいと私は改めて思えた。


noteでは、実生活では話せないような、リアル友達や身内にはなんとなく言いにくいことを発信出来たり、コメント欄に思いを綴ってしまうことってあったりする。

noteって、こういう不思議な力があると思うんです。

書くこと、読むこと、コメントすることによって自分の内側を見つめ直すことが出来るし、眠っていたものを掘り起こすことがある。
だからnoteは、自分探しが出来ちゃうと思う。


自分探しをしてるぽかさんの記事


自分を見つめなおすという項目にも通じますが、
これについてはやはり皆様の記事やコメントの中にかなりヒントがあったのです。
私自身も皆様の記事を読んでいると記事の先にある人間像のようなものが浮かび上がってきます。
きっと私の記事を読んでくださっている皆様にも、それが見えているのだと思うのです。
だから、自分で探すよりもはるかに的確に「私」と言う人間を解説してくれるのです。
『自分探し?頭の中の整理?noteを半年やってみた』
   より引用

めっちゃ共感‼️
私の心の言葉を的確に表現してくれている‼️

ぽかさんの短い小説は、たくさんの含みがあって、解釈の仕方がたくさんの捉え方が出来ると私は勝手に思っている。

ぽかさんの小説は、一元観の考え方が鍛えられるような気がする。


最後に嬉しかった一文をスクショしてみた。

男前なぽかさんに大好きって言ってもらえた💖


私は何度「脱いでもいいですか?」と言いたくなったことか…。
脱いでも迷惑になるだけなので脱ぎませんが…。

「抱いて」とも言いたくなるけど、そちらもテクニックがないため、やはり迷惑になると思い、言いませんが、心の中では何度も言ってしまうほど、私はぽかさんに骨抜きにされてます。

ぽかさん。
ぽかさんはそのままでいいです。
その力強さがいいのです💖

ぽかさん、企画にご参加してくださりありがとうございました😊

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