骨折15日目〜さみしさとは〜
骨折生活15日目です。
2週間前の今日、ボウリング(ボーリングじゃなくて、ボウリングなんだって❗️教えていただきました🥰)へ行き、はしゃぎ、腕をぶつけ、転んだ。
そして骨折した。
どんなに突っ込まないツッコミを入れたって、「時を戻そう」と言ったところで時は戻らない。
過去を後悔するより、今を生きるしかないだろう。
ってなわけで、今私に出来ることは「私の思い込み」に気づくこと。
なので、今日もダラダラ内観しちゃいたいと思います。
本日のテーマは、『さみしさ』です。
昨日のDV、モラハラする方、される方、そのどちらもハートブレイク同士。
心に傷があったり寂しさを抱えているもの同士。どちらも被害者意識が高い。
と書きました。
心に寂しさを抱えている。
されてしまう方は、
『寂しさは、自分で埋められることを知って犠牲者、被害者をやめること』
そう芙蓉さんはおっしゃっています。
たねさんとの1回目のリーディングの時にもそのようなことを言われました。
この記事には、その寂しさは自分で埋めるんだよということは書いてませんが…。
で、今日は、この寂しさと向き合ってみようかと思います。
ここで考える寂しさとかって、自分の生い立ちとか、幼い頃のことかな?と思い、過去を振り返ってみたんですよ。
私は、神奈川で生まれ、小6の時に親が離婚し、卒業式の後、父の実家に妹と預けられることになり東北に移り住みました。
産みの母親は私が小1くらいから、時々パチンコに行くようになり、小3の頃には、行く回数も増え、小4の時くらいからサラ金にも手を出し、家にも帰ってこなくなることがあり、小5、小6では家にいない方が多かったと思います。
こんな風に書いていると、いなかったから寂しかったと思われがちですが、私の中であまり寂しかったという感覚がない。
そう思っていた記憶がないんですよね…。
過去にこんな記事を書いています。
似たような環境でも受け取り方は違う。
私はなんとも思っていなかった、迎えに来ないという状況を、友だちは57歳になった今でもその時の感情と景色を覚えているのです。
私は今の今までなんとも思わずにいたけれど、もしかしたら、寂しいという気持ちを封印していたのかな?
気づかないように、自分の気持ちを誤魔化してきたのかな?
そんなこともチラッと思いました。
けど、んー、わかんないな。
5歳下の妹もいたしな…。
日中は、遊びほうけていたし。
マンガ本とか、テレビとか観て楽しかった気もするし。
母親が帰って来なくても父親の帰りが遅くても寂しいとか、帰って来てとか思っていなかった気がするな。
母親が帰って来たところで、父親とケンカしたりしてうるさくなるのも嫌だったし。
帰って来ても料理を作るわけでもなかったしね。
お金もなかったから、何にも買えなくて何にも作る気しなかったんだろうな。
私としても、帰って来たと思ってもまた次の日からふらっといなくなったりしたし。
喜んでもそれは、ぬか喜びになるのを知ってたから、喜べなかった気もする。
帰って来てくれて嬉しい気持ちと、いやいや、ふらっと帰って来たって、どうせすぐいなくなるんでしょ、という気持ちとグラグラしてたのかもしれないな。
いなくて寂しいは、負け⁉️
いなくて寂しいって思ってしまったら負けって思ってたのかな?
なんか、今ふとそんなことが浮かんだ。
いや、こじつけかもしれない。
わかんないけど、友だちのように、親が迎えに来てくれないって寂しがったりするなんて、私はやっぱり嫌だ。
恥ずかしい気さえする。
え?あなたなんかいなくても全然平気ですけど、何か?くらいでいたいわ。
母親が帰って来ないからといって、寂しかったりするのってなんか嫌じゃない?
ずるくない?そんなの。
そっち(母親)は、子どもより、パチンコとかギャンブルにハマって、そっち優先にしてるわけでしょ。
家のこともほったらかしにして、さらには借金まで作って、怖いおじさん家に来させるとか、大迷惑かけてるわけじゃん。
なのに、そんな奴に対して「寂しい」とか「家にいてほしい」とか思うっておかしくない?
お母さんとか妻の役割も果たしてないし、役に立つどころか迷惑かけて、邪魔な存在なのに、そんな奴に対して【母親】という肩書きだけで、私を産んだだけで「寂しい」と思わせる存在なんて、おかしくない?
父親は、一生懸命働いてくれた。
その一生懸命働いてくれている人より、ちゃらんぽらんな人に対して「寂しい」という感情を持つって、変じゃない?ダメじゃない?
いなくてOK。むしろいない方がせいせいするわの扱いでいいでしょ。
…けど、私は最後の最後まで捨てられなかったな…母親を。
これは、寂しいと思っていたからなのかな?
妹のように、離婚していいよって自分の口から父親に言えなかったな。
DV、モラハラされる人は『見捨てられない』という特徴を持っているとか。
私は、見捨てるがなかなか出来ないのかな…。
これが寂しい気持ちと繋がっているのかもわかんない。
わかんないけど、またグダグダと書かせてもらってます。
過去、さみしいの感情についての記事も書いている。
そもそも私には『さみしい』という感情がないのか…みたいなことを書いた記事。
遠く離れた場所で一人暮らしをしている娘に対して、さほど淋しいという感情を私は持たないというものを書いたもの。
それは、父の死に対しても。
娘への気持ちの部分は、意外にも同じように考えている方や共感してくださる方がいて、びっくりしました。
私はそんなにさみしいという感情があるとは思っていなかったけど、気づかないうちに、寂しい思いをしていて、その寂しさを埋めるために、私は人(ダンナ)でその寂しさを埋めようとしていたのか…。
寂しくて誰かにいてほしい…と思っていたのか…。
んー?
ちょっと自分への質問を変えよう。
というか、思い出そう。
私は1人はダメなのか?
…そうでもない。
映画やショッピングなどは、むしろ、1人の方がいい。
食堂も1人で大丈夫。
居酒屋に1人は行ったことがないし、それは勇気がいる。
1人カラオケには行ったことがないかも。
カラオケはワイワイ行きたい。
みんなでワイワイするのは好き。
とはいえ、常に誰かにいてほしい…というわけではない。
ダンナと付き合い始めの頃。
あぁ、この頃は離れがたかった。
一緒にいなきゃいないで、大丈夫だったけど、会うとなかなか帰り難かった。
それは寂しかったのかな?
寮に住んでいたから、寮に帰れば友だちもいたし、しょっちゅう友だちの部屋を行き来して、飲んでいたから、そこまで寂しいを感じてるつもりはなかったけどね…。
なんだろうね…。
一緒にいたいとは思っていたね。
一緒にいたからといって、ずっとめちゃくちゃ楽しかったわけではなかったな。
喫茶店で2時間持つタイプではないから。
友だち交えてならめちゃくちゃ持つけどね。
面白かったし。
なのに、2人だとなかなかそこまで話が盛り上がるわけでもなかったな。
はい!ドーンッ‼️
私よ‼️そこ‼️そこで気づけよ‼️
2人っきりで話持たないやつとなぜ一緒にいたいと思っていたのか‼️
友だちがいる時の彼は楽しくて好きだった。
私といる時、さほど話面白くなくね?
ってか、話噛み合わなくね?
気づけよ‼️私‼️
あ、すいません💦
時は戻せないのに、あの時の私に言いたくなりました。
んじゃ、やっぱり、この感情は、寂しさゆえに離れなくないというものだったのかな?
寂しさを埋めるために一緒にいたのか?
2人でいたって〜寒いけど〜
嘘でも抱かれりゃ〜あたたかい〜
…そうね…。
嘘でも抱かれりゃ温かいよね。
恨んでも恨んでも
心うらはらあなた〜山が燃える〜
…心うらはらだったかもね。
戻れなくてももういいの
クラクラ燃える火をくぐり
あなたと超えたい
天城越え〜
だったのかしらねぇ…。
そういえば小6の頃、父親にこの歌お母さんの歌みたいじゃねーか?と言われた歌がある。
それが『浪花節だよ人生は』
こんなの、「お母さんの歌みたいじゃないか?」って言われて「そうだね」って、言える?
私、小6ですけど。
え?うち、こういう状況なの?ってその時知ったんだけど…💧
なんのこっちゃ?
わからん。
ますますわからなくなった。
人生に演歌はつきものって話⁉️
え?
ズレまくりもいいとこね。
ダメだ。
今日は、ここまでだわ。
さみしいの感情は、私には難しいみたい。
ま、いっか。
さてさて。
今日は、息子のリクエストで、ダンナがハンバーグを作ってますよ。
野菜をみじん切りして、ひき肉をこねこねして、パンパンという音がしてました。
「パン粉どこ?」と聞いていたので、パン粉を入れることも知ってましたね。
私はよく入れ忘れます。
なんなら、入れなくてもいいかとあえて入れないこともありますが…。
日曜日の朝に「今日なんのゴミの日?」と聞いて来たり、茶碗をずっと洗わないことや缶のゴミをずっとそのままにしていることもスーパーでポイントカード使わないこともめちゃくちゃめちゃくちゃ気になるけど、けど、いいの。
感謝なの。
やってくれてることには感謝。
ありがとう。
私は私のことに集中しよう。
なかなか紐解けなくてもそれでもいい。
ここまでやった私。
いい子いい子。
中途半端な記事になってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございます😊
幸せをありがとうございます💖
さみしい気持ちありがとう🥰
うちなる平和を💕
シュカポン🐼
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