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 11月から新生活を始めたレオ氏は、
画像でその日の出来事を知らせて
「成長を見てほしい」などと言っている。

「凄いね」「頑張ったね」
わたしは褒め役だ。まるでお母さん。

 わたしが母からしてもらったことを、
出来るだけレオ氏の方へ返している、恩送り。

 聞いた話は肯定して返事をするし、適度な気づきを質問にして訊いてみるなど、相手のモチベーションを維持するように細心を払っているつもりだ。

「夢が叶ったのは、ももが支えてくれたお陰。
本当にありがとう。
安心して見守ってもらえるよう頑張るわ」
このセリフ以降、レオ氏からわたしへ負担をかけることがなくなった。

 レオ氏はコミュニケーション能力の申し子で、
引越しした翌日から近所の人にご飯へお呼ばれするなど、人から可愛がられて生きている。
動物みたいな素直で純心だからだと思う。

 それにも関わらず、なぜか
「優しいね」と一括された言葉で終わるのだと、
頭の片隅には虚しさが控えている。
 
 レオ氏が植え付けたトラウマではなく、
「どの人も似たようなもんよ」とわたしが一括している。



 脳がトラウマを抱えてしまうと、なかなか性善説でモノを考えにくい。

 過去にこんなことがあった。

 近所に住む友人が大変な状況にあると聞いた。
フリーランスで働き始めるも金銭的な行き詰まりで精神的にも疲れている様子だった。
 彼はわたしへ人的な支援や金銭的な援助を求めて来たが、一蹴した。

 それらは後々まで恨まれた。

 ある晩、お風呂にも入り、あとは寝るだけの状況に友人から電話がかかっていた。

「終電を逃したから迎えに来てほしい」
時計は1時を回り、外出するだけの元気はない。
 親兄弟から見離されているのを知っていても、
丁重に断りを入れると
「ツレの嫁さんが臨月なんだ」

 友人のツレの奥さんが産気づかれても困るので「少しでも役に立てれば」と思い、友人とツレを迎えに行った。

 ツレもわたし達と同じ市内に住んでいるのかと思いきや、待ち合わせ場所から50キロも離れた街だった。

 うちの後部座席で二人は話し込み、
二人は喉が渇いただの、エアコンが後ろまで届かないなど文句ばかり言う。

 わたしは乱視なので夜間はスピードを出さないと、後ろから催促される。
 道路の車線が見えにくく、街路灯が滲んで目に映る運転は、遠く慣れない場所だと怖さしかない。

 友人のツレをマンションまで送り、友人を自宅まで送ると、友人からはLINEスタンプ一つだけしか来なかった。

 ワガママ放題のコイツらを車から引き摺り下ろせば良かった。

「ありがとう」の言葉もなく、ただ「いいね」の可愛いキャラクターのスタンプが画面に表示され、
一瞬わたしは軽くショックを受けた。

 もう少し丁寧な礼を言ってくれるかとの期待が、さらりと裏切られたように感じた。

「これだけの支援をしたのだから、もう少し言葉があってもいいのでは?」わだかまりの思いが強くなっていく。

 昔から横柄で距離を置いていたし、
見返りを求めるのは良くないと分かってはいても、心のどこかで期待してしまった自分がいた。

 街で知らない人が困っていたら手を差し伸べる。
その後、上手くいっていればいいなと幸せを祈る。

 しかし断っても再々迷惑をかけられると、
見返りを求めるようになる。
友人は自身を「神の生まれ変わり」だと言い、
わたしやわたしの周囲が尽くすのは当たり前じゃないかと公言する。

 わたしの人間関係で友人ほど極端に他人へ迷惑をかける人はいないと断言できる。
 実社会はネットのようにブロックできないから、
ご近所なら尚更断りづらい。
家が近所というのは本当にネックになる。

 結果的に友人とは、去年6月に縁を切った。
最後もお金を貸してほしいという打診で、 
境界線を引いて、出来ないことはできないと明瞭な提示をしても理解してくれなかったからだ。


 
 出来事を通じて、私は人間関係の自堕落さを再認識した。
 助け合いで時には期待が生まれ、それが失望に変わることもあるのだと。今後は相手の状況や気持ちに寄り添いながら、時間も手間もかからない
『無償の愛』を持って接するように心がけたいと思った。

 これは恋愛や友情も同じで性差がない。
利用できるところはしっかり利用し、さようなら。
 反発などしようものなら
「見返りを求めるな」「助け合いは当然」と
逃げ口上が始まるのは、人間の性。

 こんなことを言う人に限って、優しさを損得で決定し、自分が得するから優しくする。
羨ましいぐらい理性がないのだと思っている。

 人というのは新しい人間関係ができて、
時間が経つにつれ、感謝の気持ちが薄れてしまう。
残念な現実を秘めている。

 そんなのを経験してきたからこそ、
人間関係は変わりやすく、時には表面的なものになってしまう。

 過去に支え合った関係が軽視され、忘れ去られたりすると心にささくれを残す。

 わたしは見返りを求める。
「大丈夫だよ」と言いつつ、無理をする部分があるから見返りを求める。

 そして同時に、真剣に向き合ってくれる人との関係を大切にしたいという思いが強くなる。
しかし、そんな出来の良い人は少数だ。

 信頼できる人間関係を築くにはどうすりゃいいんだか。努力が必要とはいえ、反対に言いたいのが
「アンタはどんな努力してんだよ」
努力しなくていい関係がほしいもんだ。

 相手とのコミュニケーションや理解を深めながら自分自身も大切にしたいのが希望だが、人との関わり方について考えるとポジティブよりネガティブが先に来てしまう。

 自分が優しくできなかったことへ後悔しないように優しくしても、自己満足を得るために優しくしても、人の気持ちを踏みつける人はどこにでもいるからなぁ……。

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