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エッセイ: 寄り添いはときに危険なもの
甘いもの、甘言だな。
以下、【閲覧注意】とさせていただく。
けして際どい言葉や表現は使ってないけども、
追体験をする人がいると想像して。
ある接待をした被害者が、3月に会見をする情報が流れた。
彼女は週刊誌へ告発して以来、フォトエッセイの出版やInstagramのコメント欄を開放している。
対する関係者であろう芸能人は引退してしまい、関わったテレビ局も深夜に渡る長時間の会見を開くなど、世論を賑やかにしていた。
被害者が会見する予定に伴い、ネット上では非難轟々で、Instagramのコメント欄は誹謗中傷まで溢れている様子らしい。
あまり詳細を知らない、精神科医やカウンセラーでもないわたしが上記を踏まえた覚書。
過去にPTSDの診断を受けて、
それでも労働基準監督署を味方にし、部署内でのパワハラがあったと認定された折は、今では考えられないエネルギーが自分を突き動かして、周囲の声に耳を傾けなかった。
確かに勝ち取ったものがあった。
しかし、それでPTSDが治ったわけではなく、煮えたぎる復讐心は収まるなどなかった。
「わたしにパワハラしたババア、死ねばいいのに」
「アイツがのうのうと生きているのが許せない」
わたしの脳内は負のスパイラルから脱出せず、四六時中、恨みつらみが一層病気を悪化させた。
幸い、友達は減らなかった。しかし、
「ももが後ろを向いて歩くと病気は治らない」
「仕返しはババアだけではなく、ももも傷つく」
今なら正論だと思えるが、こんなことを言う友達は全員、敵に見えた。
「アンタに何が分かるんだよ」食ってかかった。
「そうだよね、復讐されて当然のババアを野放しにする考えがおかしい」
わたしへ賛同してくれる人しか味方に見えず、
でも復讐なんてできないから、わたしは苦しみから自傷行為へ走った。
「ババア、死ね!」」のたびに、刃物で腕や脚を傷つけ、血が止まらないと情けなくて号泣した。
果たせない復讐は、自分を傷つけることへ執着し、
色んな宗教からモテモテになった。
今思うが、自傷行為は、かまってちゃんの専売特許じゃないね。
お風呂にも入らない、汚いわたしが人様と会いたいなど皆無で、ドタキャンの姫へ降臨していたのに、かまってほしいより「全世界は敵」。
しかし、少量の良心は他人の痛みが分かるから、
機関銃をぶっ放して傷つけたり、不快にさせたくない、心理的な引きこもりにあった。
誰かを傷つけるなら、誰かと会わない。物理的につけた傷口を見せたくない、知られたくない。
傷つける相手は自分しかいなかった。
わたしは自分に対して悔しかった。
うつ病が悪化すると、努力して得た職を辞めざるを得ない。パワハラに屈した自分の弱さ。仕返しできない理不尽さ。
オーバードーズでもしないと、自分を痛めつけないと、わたしは生きていられなかった。
これは自殺未遂でICUに入院するまで続いた。
左腕はケロイドがホワイトタトゥーのように残り、
半袖が着られない現在に至る。
甘言は前を向く機会を損なうと断言していい。
執着心を加速させるパワーがあると言っていいかもしれない。
医師やカウンセラーが
「ももまろさんは正しい。そうだ、仕返ししよう!
気が済むまで相手を追い詰めよう」と言うか?
「自分のことだけを考えて、自分を大切に」と
心を休ませる言葉をかけてくれないか?
友達が気分転換させてくれたのは、わたしへ立ち直ってほしいからではないか?
ICUに入院して、診療科目は何か知らない医師から
「なっちゃんのために生きてください」
猫のために生きろと言われて、目が覚めたわたしも大概バカだなと思う。
他人を肯定するばかりではなく、
辛辣な言葉でも、わたしの将来へ向けた提案が含まれていたのを「自分の敵」と思い込んだ。自分を正当化した自分があったからこそ、激しい後悔をし、
その後は失敗を防げた自分が存在する。
わたしを肯定しつつも、楽しい場面へ引っ張り込んだ人達がいたから、今は幸せなんだと思う。
自分が病んでいるときこそ、甘言を疑え。
その肯定は執着心から解放するものか、粘着させるものか。判断できないなら孤独や孤立を選んで、自分の心から聞こえる声へ耳を澄ませる。
どこかに一欠片でもポジティブな要素があるものを掴んで離さないのも、早めに負のスパイラルから脱出できる鍵かもしれない。