傷ついたときぐらい…素でいたい
「傷の舐め合い」は相互扶助の意味合いではなく
単に
「同情し合い、不幸者同士が共鳴しているだけ」
悪口や批判として用いられる
何らかで気持ちが崩れ落ちたとき
すぐに鼓舞できず、立ち直りの起爆剤にならず
…傷ついた度合いや個人によっては
心が失血死寸前で、痛すぎて死にそうなんですが
自死を選ぶ人々が後を絶たない中
「SOSを出しましょう」
「いのちの電話ダイヤルがあります」と
アナウンスする昨今
傷の舐め合いは否定されることなのか疑問が残る
痛いときは、その場限りでいいの
自分の痛みを肯定して欲しいの
誰かにわたしの話を聞いて欲しいの
素のわたしを見て「大丈夫?」って言ってほしい
こんなときに建設的とか生産性とか成長の阻害やら
どうでもいい
前が見えないんだから、そんだけ傷ついている
例えば、ダイエットをしていて
互いが「痩せない」と愚痴を言い
「どのみち寿命があるなら
好きな物だけ食べていこう」
安心しきって、健康を損なう行為ならどうかと思う
「アイツがいるから、いいや〜」と怠慢になるのは
だけど、「辛い」「死んでいい」と思える
孤独や閉塞感、絶望感にある中
人に話を聞いてもらう、寄り添ってもらうと
わたしの場合、立ち直りに対して生産性が高い
「脳内が1人で整理整頓できないときがある」
他者に話をしながら脳内は
自分の心境、状況、今後を整理し
自分が行く道が見えてくるケースがある
どうして、個性は各自違うと思えないのかな
昔、うつ病になったとき
ずっと泣いてばかり「わたしの話を聞いて欲しい」
そう願ったことがある
ネガティブな話で、友達に迷惑をかけたくなかった
出会い系サイトに登録して
「1回ヤラせるから、わたしの話を聞け!」
切羽詰まり、捨て身の思考に陥った
うつ病になると
引きこもりになるので実行しなかっただけ
身体の融通が利くなら、そうしたかった
立ち直る方法は千差万別なのよ
「時間薬」とスローペースから何から
傷ついたときぐらい、回復の選択肢は減らさないで
個人を尊重してください
もちろん、わたしで良ければ寄り添います