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#読まれないnoteだから書いた

お題が「#読まれないnote」ということで
企画参加いたします

結論から書くと、モノを表現するとはリスキーで
無傷であるほど、既視感満載のつまらない作品
リスクがある程、表現の楽しさを知るんだな

わたしは自分の記事に「読まれません」と書く
そこには大きな理由があり
自己暗示をかけないと、投稿を躊躇うものがある

日本には会話において、3大タブーがあり
それらを避けたとしても、タブーだらけで
誰か1人でも傷つける恐れがあって
だけど、これがわたしが導いた考えだと出したい

「読まれない」書かないと、怖くて出せない

投稿するのは
わたしへの戒め、リアルでの出来事を記す
区別として、noteのことは「note」と書く

だけど、経験上どうしても「自分宛の悪口」と
捉えられてしまうので、釈明するのも面倒な
アテ付けするほど、個人個人に執着してない
これだけタイムラインに人数と作品があれば

本音を言うなら、タイムラインの常連さんに
何があり、どんなことを考え、結論を出したか
作品を通して“ひと”を知りたい
より多くの“角度”を見てみたい

人を知るとは、自分を知る機会になる
人の思想や体験から、自分ならどうだろうと考える
実社会を生きていると井の中の蛙になりやすく
大海を追体験で感じ、視座を高めたい

他人を利用するなって、お叱りを受けるかな
互いを養分にする。これもいかんな
良い影響を受け合うは、どうかな

自分を磨くって、よく耳目にする
磨くツールはウエスだけじゃないと思う
紙ヤスリや研磨器とかね

自分の使いやすい道具があっても
自分の鋭角を丸くする、より尖らせるには
自分好みばかりじゃ、限界があると思うよ
新しいを生み出すって痛みが多少は伴うでしょう
だからね、より多くの作品を読みたい

noteは、わたしにとって人格形成の場の一部

マネタイズについて
人様は、すれば良いんじゃないのって考え
夢や願望を叶えてください、応援しています

あとは、何を書きたかったかな…

わたしは雑誌が好きで、創刊号から読んでいたもの
ずっと購読しているものもある
それらの変遷や感想を書きたいと思ったのだけど
創刊号は捨ててしまっており、手元にない

創刊号から読んだ雑誌は
美人百花』『小悪魔ageha『姉Can』
からだにいいこと』『ゆほびか

最終号まで読んだのは『噂の眞相
実家に残っていた噂の眞相を手に取ると
疑惑が真実だったものが並んでおり
場外乱闘した、思想の対立が面白かった

リベラルってなんだろうと、若い頃は疑問に思った

命懸けで取材した編集者や岡留安則編集長には
敬意を持っております
筒井康隆氏の断筆宣言後も続いたコラムは
わたしの教科書です

#読まれないnoteを書こう …だから書いちゃった笑
#ルミさん  ありがとうございます

☆*:.。. oこちらの企画に参加o .。.:*☆

企画のルール

・エッセイ、小説、日記、マンガ、脚本、詩なんでもOK
・自分が書きたいものを真剣に書きましょう
 推敲、読み返し、書き直し、もちろんOK(←呑み書きとの差別化)
・一応、「企画に賛同します」という意味で「#読まれないnoteを書こう」   をつけてください(ただし、ハッシュタグで探したりはしません)もちろん、つけなくてもOKです。
・ハッシュタグを見つけても、「できるだけ」読みにいかないようにしましょう。(どうしても読みたければご自由に)
この企画note自体、私、ルミの一人語りですので、読まなくていいですし、スキもつけなくてもいいんです。どうぞご自由に。

期限はありません。書きたいとき、読みたいときに「#読まれないnoteを書こう」を使ってください。