質問: どんな文章に惹かれますか?
今朝は志彌 -ゆきみ-さんの、下記の疑問を
わたしなりの考えで書きます。
みんなはどう思う?
皆さんは、どんな文章に惹かれますか?
自分らしく書くこと
読者に寄り添うこと
どっちが大切だと思いますか?
自分らしさへも寄り添いへも、
「共感」が前提です。
読まれるnoteの書き方入門へ
「共感する記事を書こう」と目にします。
意味は分かるのですが、
自分にとって『あるある』は、
他人に共感できるかを考えることがあります。
現在放映されているNHKの朝の連続ドラマ
『おむすび』は、早くも脱落する人が出ているとニュースに書いてありました。
理由は共感できないからだそうです。
同じく朝ドラで、沖縄返還50周年を記念した
『ちむどんどん』はネット上で反省会が結成されたほど、共感できない内容だったそうです。
わたしは「おむすび」と「ちむどんどん」を観てないので、志彌さんが用いていらっしゃるAIのGeminiさんへ聞いてみました。
朝から視聴者に寄り添おうとしても、
この結果です。
たくさんの人に読んでもらえるとは、
共感されやすいからだと思います。
選んだテーマによっては、
強い語気や非難(批判じゃない)であれ、
人の心を掴む、または代弁になっている。
記事が他人へ寄り添うことへ繋がるのではないかと考えます。
逆にオブラートに包んだり、綺麗事は反感を招き、
自分らしく平等や労りを信念にしても、
人の心へ寄り添えなかったら不満足な結果をもたらすでしょう。
自分らしさと人へ寄り添うのは一体で、
書く人の人柄が反映しているように思います。
バカがつくほど真っ直ぐ真面目な人と、
なにか胡散臭い人が言うセリフは、
同じ言葉でも、届く範囲が決まってきます。
前者は最初だけ狭く、
即効性に欠いても反響は広がるもので、
時間と共に想像以上に読んでもらえます。
ところが、
後者の胡散臭い人の言葉は、
信奉者しか拍手がないのを見てきました。
共感は、させ続けたり、
し続けるものなのでしょうか。
ニーズをなにか探してきて自分の想いを書く。
人に寄り添えるように慮る。
ここに芯があると、共感されないときの落ち込みや
自分の書きたいことと離れていき、
求めることや努力することでもないのに、
心の乾きは激しくなって、
結局、何も書けなくなるんじゃないかと不安です。
質問に戻り、
フォロワーを増やし、信奉者を築いて、
同調圧力をかける人のことは、
宗教やマルチ商法のやり方で苦手です。
どこに共感ポイントがあるのか分からないのに、
「この良さが分からないアナタはおかしい」
人心操作にならないように自分自身へ言い聞かし、同時に、
わたしは騙されやすいので警戒します。
読者は無理して共感しなくていいと、
わたしは思っています。
同調圧力をかけてくる、
「自分は意識が高い」と思い込んでいる人ほど、
他人より優位に立っていると信じており、
謙虚さを失った時点で心の腐敗は始まっています。
このことに気づかないので、
そうしたペテンに共感する必要はなく、
哀れみを持って距離を置くのが幸せな選択です。
精神的な歩みが交わらない相手と長時間過ごすのは、どちらにとっても不幸を招くと考えます。
文章は
「自分らしく書くこと」
「読者に寄り添うこと」
両方のバランスも大事でしょうが、
ターゲット層を絞らない創作へは、
自分らしさに比重を置くのが、根強いファンを獲得するコツかとわたしは考えます。
不特定多数の人へ寄り添うと中身が薄くなる。
どんな人たちへ向けたメッセージなのか、
テーマがあるからこそ、深く思考でき、
文章にするのではないかと思います。
わたしはSEO対策を習っていますが、
noteで用いていません。
なぜなら、ターゲットはnoterだけだからです。
上記がAIを演じた、わたしの意見です。