ホラーから中途半端な物理や哲学へ
夏は夜といえば、怪談でしょ
わたしの価値観では
正直、ほとんど稲川淳二さんの怪談は聴いてない
周りは「面白いのに」など
冬でも感想を聞く
わたし個人はホラーはホラーでも、スプラッターや胸糞映画が好きで
このカテゴリーが語れる人は本当に少ない
「夢に出てきそうな映画は観れない」らしい
どこに夢へ出てくる要素があるのか分からないが、
ストーリーの展開で亡くなった人物の気持ちを考えたり、構成を追ったり、美術が好きなんだと思う
どれだけリアルに近い、リアルに見えるかへ興味関心があるタイプだから夢に出てこない
見えないもので験担ぎはするクセに
幽霊は信じない
幽霊はいるかもしれないが、幽霊がわたしを避けるのだろう
そして、わたしも幽霊を受信しないアンテナがあるのだと思う
感受性がない、共感力が低い人間のメリットだよ
スプラッターや胸糞映画というのは、心に免疫が出来て抵抗力がつくので平気になる
『ググってはいけない』
これ系はほぼ全部観ている
よって、ロシアウクライナ戦争が起きた頃
『ウクライナ』の国名で一番に浮かんだものは
いかにスプラッターや胸糞映画を知っているかがバレてしまうほどだった
○○恐怖症で鳥肌や生理的嫌悪感が指摘されているが、わたしは慣れてしまい
「もっと強烈なものが見たい」
でも、今ではあまり検索や閲覧しなくなった
書く作業が楽しくて、わたしの心が持って行かれた
しかし、観ておいて知っておいて後悔がない
物事は表裏一体で、暗さを知るから明るさの享受へ
素直に手が出せる
語るにせよ、光と闇のどちらも表現できなければ言葉に厚みが出ないと思っている
自分に例えれば
精神が病んで、性格的にも何らかの障害があるのだろうと自覚しているから
安寧や優しさが骨身に沁みる
他人とわたしは全く違う個性で
人は人であり自分は自分と自他境界が引ける
根拠はホラーなどを物理と哲学で昇華しようとする癖がついているからだ
例えばですよ
悪役が斧で無辜の民を首チョンパする
首は飛んでいくか、その場に落ちるのだが
「距離、どれだけの力や重さでこうなるのか」
頭の重さって?悪役は小柄だよ?どういうこと?
と、同時に製作者の伝えたいことを考えてみる
「どうしてこの考えに至ったのかな?」
「わたしなら、ああ表現するぞ?」
わたしは物理が苦手だが
物理と哲学は言うまでもなく双子で
物質的な根源を知りたいきっかけや取り組みは同じ
物理は自然界の法則性へ向い
哲学は人間の思考を解明するへ向かった
何が言いたいかとまとめると
「ももまろに取扱説明書がありますよ
もちろん他人もありますよ
説明書の中身はバラバラだぜ」って
わたしは苦手で中途半端だから
「結論、人とわたしは違う。以上」で済ませた
賢くないから
闇や裏で体得して人並みに漕ぎ着けた
怖いと感じるホラーとグロテスクのスプラッターからこういったことも学べるのよ
だから皆さまへもオススメと推奨しないけどさ
今夏は夜、散歩しまくる
わたしに足りてないのはオリジナリティ
昼間にないものを絡め取りたい
観察しながら、体感しながら、感受性に肥料をやる
ここを毎日研磨しないと、いつまで経っても人と差別化できない凡庸な創作しかできないからね