人格否定されるのも、自己責任
「まるで、わたしじゃないの」
気持ちが分かりすぎる一文を発見した
上達の探求さんが書いていらしたもので
わたしの場合は
わたしの人格否定を書かれた折は
上達さんと同じ気持ちになる
違いがあるのは、フォローはそのまま
頭の中では
他人のnote内は、他人の表現の自由
そんなことは承知している
しかし
他人の自由な行動を許したくないときがあり
実際、わたしの人格否定を書いた人は
わたしをブロックして悪口を書き込んでいたので
悪口へスキをした人に喧嘩を売った
人は弱いもので、村社会と一体になり
公然と人格否定する人から
支配されたいという欲求がある
それは、危害を避ける一種の自衛手段に思う
喧嘩を売られた側の人達は
「(悪口を書いた人から)スキがあったので返した」
「内容は読んでない」
悪いけど、記事ならそうかもしれないが
つぶやき140字で、上記の言い訳は
轢き逃げ犯と同じ
事前に分かっちゃいたが
悪口へスキを行わせないよう、他人へ入り込み
コントロールしようとする、わたしは支配欲が強い
これだけ生きていれば
自分の思い通りにならない事態をなるべく避けるか
思い通りにならない理不尽を受け入れざるを得ない
分かっていても、わたしは受け入れられなかった
わたしは小さな人間だ
そして、喧嘩を売った人へ見抜かれたと思う
冷静になると、自分に自信がないわたし
他人の評価が気になるわたしが浮き彫りになる
わたしは、正義ヅラしたチンピラそのもの
noteには、名指ししなければ
noterの悪口を書いてよいルールがある
誰が決めたんだろうね
そんなルールがあるので
実社会の愚痴を書いても
noterの悪口を書いたと思われ
生まれないはずのトラブルが起きる
だからといって、わたしから提言はない
人格否定されるのも、自己責任
他人を支配しようとしたわたしが
「支配とは何か」への答えは
「自分が自由になるエリアを増やす」
どの社会にいても結果として
権利と利益を支配しなければ、自由は狭いまま
悪口を言われた人間が悪いのだと思い直した
🌼上達の探求さん🌼
記事を拝借いたします
上達さんの意図とは異なりますが
使わせていただき
ありがとうございます!