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連綿と受け継がれてきたバトン〜秦の始皇帝

秦の始皇帝といえば、はじめて中国統一という偉業を成し遂げ、「万里の長城」という巨大な建築物を築いた。歴史の授業で習った認識。

しかし、彼が一代で統一国家を築いたわけではなくて、実は始皇帝の生まれる100年前から、中国統一の地盤作りは着々と始まっていました。

また、そこには1人の男の人生を賭けた思いも絡んでいます。

歴史を動かした奇跡の繋がりを紹介します。


それは100年前から始まった!

当時の中国、紀元前350年頃は、200もの国に分かれ、気候、風土、言葉も文化も異なる人々で構成されていました。

そう!今のヨーロッパみたいに。

中国全土を一つにまとめて、統一国家を作るなんて夢みたいな話。
誰の頭の中にも浮かんでいません。

ところがその時代に、中国統一を目指してコツコツ、コツコツと仕事を始めていたのが

法家である商鞅。

とても厳しい法律を作り、ルールで人を縛り、
目指すは富国強兵、中央集権。
軍事力を上げ、人々を農業に集中させて国益を上げる。
地方の豪族の権力は下げ、中央の君主の権力を上げる。

100年後の統一国家を目指して!!
誰にも想像しない景色が商鞅には見えていたのです。


あなたは100年後の日本の景色が見えてますか?
私の死んだ後のことなんか知らないよ。考えもしてないですよね。

みんな目の前の富や権力を手に入れようと躍起になるのに、先の先の国のことを考えて動けるなんて!!


それは一商人の夢から始まった!

その後、商鞅の作った国家体制から、優秀な官僚や天才的に強い将軍が現れて、秦は周辺の強国を次々と落としていきます。

趙の商人の呂不韋はある老人から、邯鄲の夢 の話を聞きます。

人の栄枯盛衰はいつかは覚める夢のように儚いものである。

呂不韋は、人として生を受けたからには、儚くてもいいから、自分も邯鄲の夢を見たいと思います。

そこで、彼は当時趙で交換人質となっていた秦の20番目の王子、子楚の後盾となるべく全財産を投げ打ちました

王位から一番遠くにいた王子でしたが、
呂不偉は子楚の人柄などを見て、こいつはいける!と瞬間的に判断し賭けたのです。

一商人の夢の実現の為に、子楚そして中国の運命が変わった瞬間です。

そしてバトンを受け取った!

100年間連綿と受け継がれてきたバトンは子楚から息子の政へ。

政が初めての中国統一を実現し始皇帝となります。
13歳の時に王位についた政と共に呂不韋も国父となり、願い通り、最高の富や権力を手に入れます。

政は実直で優秀な人物でした。権力を手に入れて、あぐらをかいていたわけではなかったのです。

様々な整備を手掛けます。貨幣、重さの単位、文字の統一、道路の建設など。
後の中国が国として機能するよう、彼なりのビジョンに沿って着々と仕事をしていたのです。

秦王朝は15年しか続きませんでした。

でも始皇帝が手掛けた国作りは、次の漢王朝のしっかりとした基盤となります。

ここから、統一国家としての中国が受け継がれていきます。


まとめ

商鞅も呂不韋も実に的確に、その時代に必要とされていることを選択して、自分にできることを考えて実行しました。
人生は短いんだから、ぐずぐず迷ってる暇もない。状況判断に長けているのも才能です。

天才たちによって受け継がれてきたバトンも奇跡としか言えないけれど、それを受け取った政の存在も奇跡です。

数々の奇跡が重なり合って歴史は動きます。

そうでなければ、中国統一は成されていなくて、現在の中国の姿も違うものになっていたかもしれません。

私が歴史を好きなのは、歴史の裏にこんな人間ドラマが見られるからなのです。


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