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親子の欠片を集めながら「猫を捨てる」村上春樹

私は両親とは思春期以来、ほとんど口をきかずに過ごしてきた。実家にもお盆とお正月に数時間滞在するだけ。

父が亡くなる数ヶ月前に、少し打ち解けて言葉を交わすようになったけれど。

でもその前に母が病に倒れ、普通の生活もやり取りもできなくなり施設に入ったので、

もし母が元気だったら、父と話す機会もなく最期まで知らん顔していて、お葬式だけ出ていたんだと思う。

村上春樹の「猫を棄てる」


親子の関わりの中で自分は作られてきた。

ひとつひとつのささやかなものごとの限りない集積が、僕という人間をこれまでにかたち作ってきたのだ。

ほとんど顔を合わせていなくても。
考えかたやものの見かたは違っても。

親子の縁の不思議さが描かれていました。

厳格な親だったから、叱られた記憶は色濃く残っている。もちろん楽しいこともたくさんあったと思う、あったはず。

海や山で遊んだことや食事の風景など、
ある瞬間にふっと思い出して和みます。

その小さな欠片が私をかたち作っているのだとしたら、
自分の一部を見つけたような嬉しさなのでしょうね。


親とは分かり合えないから、ずっと話してこなかったけれど。

親子で共有した欠片たちと共に、ここ何十年間も一緒に生きてきたようなもの。そしてこれから先も。



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ゆりのゆき@身体と心を整えます
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