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芥川賞受賞作と萩尾望都「半神」〜朝比奈秋著「サンショウウオの四十九日」

第171回芥川賞受賞作、松永K三蔵の「バリ山行」(講談社)が良かったので、文藝春秋九月号に同時掲載されていた、朝比奈秋の「サンショウウオの四十九日」(新潮社)を読んだ。

なかなかに難しい小説である。決して読みづらい言葉が続くわけではないのだが。

杏と瞬は、“結合双生児“である。肉体を共通としているが、“意識“はそれぞれ別にある。一般的にイメージされる、頭部が二つある結合双生児ではなく、それも共通である。

小説は杏と瞬が、語り手として混在する。私は、肉体の立場であるかの如く、“杏“なのか“瞬なのか、混乱しながら読み進めることとなった。

彼女らの父・若彦は、「胎児内胎児」として伯父・勝彦のお腹から取り出された。ただし、あくまでも勝彦と若彦は兄弟という扱いである。物語は、杏・瞬の日常と、勝彦の死というイベントとが絡み合って進行する。

この複雑な設定を、まとまりのある小説として仕上げた能力は凄いと思う。一方で、作品の完成度という点では「バリ山行」に分がある、と私は感じた。

選評をチェックしてみよう。評の文章から、勝手にマークをつけた。

私が感じたことが、選評にも表れているように思う。「サンショウウオの四十九日」については、作者の挑戦をどう評価するかということだろう。

川上弘美がこう書いている。<(松永K三蔵は)「サンショウウオ」の作者が出来ることが、きっと出来ない。反対に「サンショウウオ」の作者も、「バリ山行」の作者が出来ることが、たぶん出来ない。>

的を得ていると思う。

さて、「サンショウウオ」を読んでいると、萩尾望都の名作「半神」を思い出す。朝比奈秋が、このマンガを読んだいたかどうかは不明だが、二人の対談が有料動画配信されるらしい。

比較の対象とするべきではないのだが、本書を読み、萩尾望都の凄さ、マンガの表現力をあらためて感じた次第


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