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あなたにとっての“敵“とは?〜長塚京三主演、映画「敵」

長塚京三主演の映画「敵」、ちょっと気になっていたので観た。

長塚京三演じる渡辺儀助は、引退した大学教授。妻に先立たれ、古い日本家屋で一人暮らしをしている。彼の周囲には、井戸の修理などの世話をしてくれる元教え子の椛島(松尾論)、同じく教え子の鷹司靖子(瀧内公美〜大河ドラマ「光る君へ」では、道長の側室・源明子を演じた)、バー「夜間飛行」で知り合った若い女性(河井優実)らが存在し、孤独というわけではない。

彼らに加えて、渡辺の日常には亡き妻の思い出、古い家屋に存在するなにかが寄り添い、現実・夢・幻想、それらのボーダーラインは曖昧である。

我々にとっての“敵“とはなんだろう? 全ての人間に共通しているのは、“死“ということかもしれない。しかし、それは“敵“なのだろうか? ウクライナにとっての“敵“とは、ロシアなのか、プーチンなのか、それとも別のなにかか? 日本にとって“敵“は誰なのか?

モノクロームの映像で映し出される渡辺の日常を通して、こうした問いが私に投げかけられた。渡辺は、スマートに老いていきたい、こだわりもある。一方で、世俗を超越することはできない。もしかしたら、それが“敵“なのだろうか。これから老いていこうとする私にとっても、“敵“になるなにかなのだろうか。

画面から放たれる匂いは、昭和の日本を舞台にしながらも、どこかヨーロッパ映画のような印象を受ける。渡辺儀助がフランス近代演劇史を専攻するという設定が、その空気を醸成している。夏目漱石の小説を、フェリーニが映画化したような。

なお、長塚京三はソルボンヌ大学を出て、フランス映画でデビューした。まるで、彼のために用意された映画である。

派手な映画ではないが、クスッと笑える場面も散らされており、決して深刻さだけが支配しているわけではない。原作は筒井康隆の小説「敵」(新潮文庫)。長い間、筒井作品を読んでいないが、筒井康隆ワールドは、笑いの中に毒が秘められていたことを思い出した。

監督は、「桐島、部活やめるってよ」(2012)、「紙の月」(2014)の吉田大八。センスの良さを感じさせる。

こういう日本映画が作られているということは、心強い


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