私の視界を大きく広げたマンガ〜大島弓子「たそがれは逢魔の時間」
以前にも書いたと思うが、大学受験が近づくころ私は少女マンガにハマった。それまでもマンガは読んでいたし、妹が買ってくる少女マンガ誌も読んでいた。
しかし、1970年代の後半はその域を超えてしまった。一つのきっかけとなったのは、1978年に発表された大島弓子の「綿の国星」(白泉社「LaLa」)だ。これは、とんでもないことが起きていると思った。
当時「綿の国星」は第一作が「夏の終わりのト短調」とカップリングして、単行本化されていた。私はこれを読み、「LaLa」を購読し始め、大島さんを追いかけた。
そんな時、妹が買っていた「週刊少女コミック」(小学館)の1979年4号に掲載された作品に、心底驚いた。
それが、「たそがれは逢魔の時間」である。
急にこの作品を読み返したくなった。かつては「綿の国星2」、現在は白泉社文庫版「夏の終わりのト短調」に所収され、電子書籍でも入手できる。文庫は画面が小さいので電子がおすすめである。
あらためて読んで、大島弓子という人は、すごいものを描いていたと思う。
ここからはネタバレである。
アクセサリーショップのウィンドウの前に、長い髪にセーラー服の中学生が立たずむ。ただものではない。そこに通りがかった、一人の中年サラリーマンは、彼女と目を合わせ、「・・・これは失礼・・・! 人ちがいをしました。」彼女に初恋の人の姿を重ねていたのだ。
男は翌日、少女への再会を思い、同時刻に同じ場所を通りかかる。そして彼女と言葉を交わすし、かつて初恋の人に渡しそびれた、木ぼりの小物を渡す。少女は男を“ドクター“と呼び、「お礼がしたいわ」と告げる。
「今日の夕方わたしとデートしてくださればいいの」「じゃ 魔が刻(まがこく)きのうお会いしたとこで」「夕方ね」
忘れ物を届けようと男の後を追った妻が、この光景を遠目で見かける。
文章で書くと、ドキッとする場面だが、大島さんの筆から生まれるのは大人のファンタジーである。
<からかいだとはわかっているよ くるはずはないと思ってはいるけどね いちおう・・・
きえゆく昼 かえる鳥 一番星 魔が刻だ>
こうして男は少女と再会する。
その夜、男は自宅で妻の手作りのシチューを食べ、ワインを飲み、満ち足りた気持ちで就寝する。夢の中に少女が登場する。
<ワインのワ シャワーのワ ロールぱんにバター 邪悪の邪 夢想の夢 あまくとろけるいちごジャム あなたの次のことばはなあに なあに>
翌日は雪、雪の中をはしゃぎ回る少女、男は初恋の相手ーエンジェルを想う。こうした夢の世界は、妻の登場で現実へと引き戻される。妻は少女を家に招き、お茶をふるまい、<新婚生活の時よりソフトに>夫に寄り添う。
翌日、少女は男に、「ドクターはずっと夕食ひとりだったでしょう ひとりでベッドに眠ったでしょう」。「どうしてしってるんだい!?」と驚く男に、「ドクター わたしをだいていいわよ」
少女は売春をしていた。そして、男の妻は自身の浮気の中で、少女のことを見咎めていた。少女と夫妻の関係はどうなるのか。。。。
橋本治は「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」(下巻1981年)で、最終章の大島弓子論に最多のページを割き、“ハッピーエンドの女王“と評した。
だから、この続きは大丈夫・・・だと思います、安心して読んでもらって。
私の中のマンガという概念を完全に打ち崩し、新たな世界に導いてくれた作品の一つ。それが、「たそがれは逢魔の時間」だった
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