“人情“とは一体なにか〜小津安二郎監督戦後第一作「長屋紳士録」が描くもの
週刊文春の1月4・11日号に小津安二郎生誕120年&没後60年記念の特集記事が掲載され、「東京物語」と「お早う」についてレギュラー映画採点者の短評を掲載、未見の「お早う」については、年初に感想を書いた。同時に、各採点者の“もう1本“が紹介された。その一人、女優の洞口依子が「長屋紳士録」(1947年・松竹大船)を挙げた。
戦後間もない日本、長屋の住民の一人、八卦見の先生(笠智衆)が、父親とはぐれたらしい少年を拾って帰ってくる。その面倒を押し付けられた荒物屋のおたね(飯田蝶子)、戦争未亡人で子も一人亡くした独り暮らしである。
と書くと、典型的な人情話のように思えるが、おたねはなんとかしてこの少年の引き取り手を見つけ、厄介払いをしようとする。少年へのおたねの当たり方は、冷淡なものである。
“人情“とはなんだろうか。広辞苑第七版によると、<自然に備わる人間の愛情。いつくしみ。なさけ。>とある。辞書の語釈としはこうなるのだろうが、ちょっとイメージと違う。“人情“という語感の反対側、愛情を注ぐサイドも生きることに懸命でないと“人情“にはならないように思う。
「男はつらいよ」は人情話である。苦しい状況にある人々を、寅さんや「とらや」の人々は愛情を持って接する。ただし、寅さんや「とらや」の面々も、決して余裕のある生活ではない。だから、彼らの愛情に“人情“を感じるのである。
戦後の日本、長屋の人々は必死で生活している。だから、おたねは鬼にならざるを得ない。そんな状況から、彼女の“人情“〜<自然に備わる人間の愛情>が発露されるのだろうか。この映画で私が感じたことの一つである。それを表現した飯田蝶子、前述の記事で、20代の頃の洞口依子は<本作の飯田蝶子に見惚れ芸名を蝶子にしようと思った>と書いている。
本作の一場面、西洋のオペラ座かと思うような建物が登場する。これは、戦火をまぬがれた築地本願寺である。松竹の古いポスターには、“小津安二郎帰還第一回監督作品“と書かれている。シンガポールから引き揚げてきた小津の最初の作品で、本願寺の姿は戦争を生き延びたものの象徴のようであり、戦争の影響を受けた人間とが対照的に描かれる。
笠智衆が“のぞきからくり“の一節(徳富蘆花「不如帰」)を披露、おたねと少年の記念撮影の場面、茅ヶ崎の海岸など、印象深いシーンも多数。
小津の代表作とはされない「長屋紳士録」だが、小津の戦後のスタートとして、そして“人情“を感じるべき作品として大事な一本である