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楳図かずおさんの死を悼んで〜「漂流教室」で描かれた“恐怖“

ちばてつやさんの文化勲章受賞をお祝いする記事を書いたのだが、その数日後、楳図かずおさんの訃報が入ってきた。ちばさんは1939年生まれ、楳図さんは少し年長の1936年生まれ、享年88歳だった。

楳図さんが最初に私の視界に入ってきたのは、当然ながら“恐怖マンガ“。「へび女」シリーズの印象が濃い。1970年代は主として「少年サンデー」誌上で作品を発表するのだが、私は購読していなかったので、たまに「漂流教室」を目にする程度だったが、中学生になり友人と週刊漫画誌を回し読みする頃に始まったのが「まことちゃん」。それまでの作風がガラッと変化した。

大学入学で上京、吉祥寺に住み始めたら、時折街中で楳図さんに遭遇した。あの派手な姿で普通に歩いてい他ので最初は驚いたが、何度か見かけるうちに、吉祥寺の街のアクセントと化した。

訃報に接し、手元にあった「漂流教室」(1972−74年)を読み返した。

ジュール・ヴェルヌの小説に「十五少年漂流記(二年間の休暇)」(1888年)がある。無人島に漂流した少年らが、力を合わせて生きていく物語。私も少年時代に楽しんで読んだ。

同様のモチーフで、ノーベル賞作家ウィリアム・ゴールディングが書いたのが「蝿の王」(1954年)。閉鎖された空間における少年たちの変化は、あまりにも生々しく、現実世界の醜さを反映していた。もはや少年ではなくなった私は、衝撃を受けた。

その延長線上にあり、より大きな世界観で描かれた作品が「漂流教室」である。

物語の冒頭は、多くの読者が経験していたであろう日常である。歩き慣れた通学路、母親への愛情と反抗、それが一変する。

ヴェルヌはまさしく“漂流“、ゴールディングは飛行機の墜落という形での“漂流“、楳図の場合は、“なんらかの力により“、小学校全体が別世界へと“漂流“する。したがって、少年・少女たちだけではない、教師ら大人もいるのだが。。。。。

「十五少年」で描かれた友情や団結、そして「蝿の王」における人間性あるいは動物性の露見。特に後者においては、楳図かずおが“恐怖“として描いてきたものの中で、もっとも恐ろしいのは人間そのものであるように感じられる。

楳図かずおは戦中生まれ、「漂流教室」の中に、極限状況におかれた人間の醜さを含む、戦争の悲惨さが込められているのは当然だろう。

さらに未来に対する警鐘の鋭さに、改めて驚いた。公害が社会問題になっていた頃であり、そうした要素は当然あるが、人災を含む災害・環境破壊、今まさにSDGsなどで取り組まれているテーマが盛りだくさんである。

「漂流教室」で楳図かずおは、今のうちに問題を解決しておかなければ、孫子世代に不幸が押し寄せることを“マンガの力“で表現していた。そして、取り組むための原動力が親子の愛情なのだと。

相当に陰惨な場面も含まれる本作が、「少年サンデー」誌上で連載されていたことにも感じ入る。前述の通り、当時の私は本作をしっかり読めていなかったが、衝撃を受けた少年たちは多くいただろうし、この作品を掲載するのは出版社としても勇気がいったのではないだろうか。

楳図かずおさんも、こうしてマンガを文化にそして芸術へと昇華させた一人だが、2022年には絵画作品を披露した美術展も開催した。私は見逃してしまったのだが、それに関与した友人が「『わたしは真吾』は傑作だ!」と力説していた。

私は未読。楳図さんを偲んで、読んでみたいと考えている。

ご冥福をお祈りします


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