バレエの歴史を外観すると“エッ!、なるほど“が沢山ある〜海野敏著「バレエの世界史」
1996年、ロンドンに赴任した時点においては、バレエというものに特段の興味を持っていなかった。それでも、妻が観に行きたいという。そして、ロンドンのクリスマスと言えばバレエ「くるみ割り人形」。二人の娘を持つ父親としては、家族を連れて行ってやろうと。
そうしたらハマってしまった。幸運なことに、当時のロイヤル・バレエには吉田都、熊川哲也が君臨していた。さらに、シルヴィ・ギエムも在籍していて、彼女のパフォーマンスには度肝を抜かれた。以来、ロイヤル・バレエのみならず、定期的に来英するロシアのキーロフ・バレエ(現マリインスキー・バレエ)の公演は必ずチェックした。ロンドンだけでは飽き足らず、パリまで遠征もした。
しかし、バレエの歴史というものをよく分かっていなかった。それを知らされたのは、記事にもしたアーティゾン美術館での「パリ・オペラ座」展。バレエの起源がルイ14世に代表される、フランス王室における舞踏にあり、“バレエ・リュス“の台頭など、その後の展開について紹介されていた。
そうしたところ、今年の3月中公新書から海野敏著「バレエの世界史〜美を追求する舞踏の600年」という本が出たので読んでみた。
非常に分かりやすく、バレエの歴史をコンパクトに説明している。私のようにバレエを鑑賞したことがあるが、よく理解していない人間にはぴったりの良書だった。
600年の歴史は15世紀のイタリア、都市貴族の余興としての“バッロ“から始まる。そこから、本書は<「地理的な広がり」、「社会的な広がり」、「芸術的な広がり」>から、バレエの発展を見通す。
“バッロ“は、フランスに地理的に広がり、貴族が自ら踊るダンスとなり、技術の向上とともに、職業ダンサーの踊りへと変化する。観客は、貴族から市民へと社会的に広がっていく。
芸術的には、オペラの中の余興という存在から、“ロマンチック・バレエ“、“クラシック・バレエ“そして、現代へと広がっていく。バレエも、他の芸術同様、<創造性を重視し、自らを常に新しいかたちへ変化させようという内的な力>を有していたのである。
こうした芸術は多くの知識人にとっても魅力的なものであり、「エッ?この人が!」と思うような人物がバレエと関わっていることを知る。例えば、政治哲学者のジャン=ジャック・ルソー(1712−1778年)はオペラ・バレエを作曲しており、その一つ<「村の占い師」のバレエ音楽の楽曲は親しみやすいメロディーが歓迎され>、日本で有名になった。それはこちらである。
フランスにおいては、1671年にパリ・オペラ座バレエ団の前身となる王立音楽アカデミーが創設されているが、イギリスにおけるバレエ芸術の育成はずっと後になる。 <二十世紀初頭まで、アングロ・サクソンの国イギリスとアメリカでは、バレエ公演はおこなわれていたもののバレエ学校による教育は定着しておらず>と、本書には書かれている。
かかる中で、イギリスにおけるバレエ発展に貢献したのが、経済学者のジョン・メイナード・ケインズだ。あの大家ケインズはバレエを愛し、ロシア出身のバレリーナと結婚しているのである。
こうした新しい発見をしながら、断片的に頭に入っていた固有名詞が有機的につながり「なるほど」と納得できる。
奥付けを見ると、著者の海野敏氏は、私と同じ1961年生まれ。頼もしい同世代を発見した