榊原玲奈、祝!!早稲田大学合格〜橋本治「帰って来た桃尻娘」
橋本治の“桃尻娘シリーズ“第二作「その後の仁義なき桃尻娘」については、6月に感想文を書いたのですが、そのタイトルは“橋本治も登場人物も羽ばたき始める“でした。
シリーズは、“桃尻娘“こと榊原玲奈始めとする群像劇でしたが、実は第二作で榊原玲奈だけは、羽ばたくことができなかったのです。
なぜか、だって彼女は浪人生だったから。木川田源一も浪人生でしたが、彼は大学受験からは超越した場所にいます。「その後の〜」の目次を見ると、榊原玲奈は<代々木ゼミナール早慶上智文系BL>とされていますが、木川田君は<無職>です。
浪人生に求められていることは、勉強して大学に合格すること。学生生活という社会活動からは隔絶されています。「その後の〜」の翌年、1984年に上梓された「帰って来た桃尻娘」(講談社文庫)のプロローグは、こう始まります。
<あたしは今、なんにも考えてなんかいません。ほんとになんにも。>
自分は考えることを求められていない、なぜなら浪人生だから。<今のあたしに一番必要なのは勉強することなんだもん。> もちろん、考えることを止められる人間などいませんし、浪人時代のエピソードも登場します。それでも、本格的に“帰って来た桃尻娘“となるきっかけは、もちろん早稲田大学第一文学部合格です。
ということで、同級生から1年遅れで大学生活に入り、世の中に羽ばたいた榊原玲奈によってこの第三作は占拠されます。大学に入った彼女は考えることができ、それが行動にもつながっていきます。
こうして「帰って来た桃尻娘」は、大学1年生女子の日常を描く青春小説として出来上がります。橋本さんの巧みなところは、第一作、第二作において多様な視点から世界を生み出した後に、主人公を一つに絞って、本作をある意味オーソドックな小説に仕立てたことかもしれません。
これによって、大学生の典型的な日々が、実は奥が深く、彼らは彼らなりに深く考えた挙句の出来事であることを描いてくれているように見えます。
ところで、ここ数日書いた通り、大島弓子作品を読み返していますが、その流れで本作を読むと大島作品の影響が感じられます。橋本さんが、最終章として大島弓子論を書き上梓した「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」の下巻が世に出たのが1979年です。
そこで論じられた大島弓子「綿の国星」、“綿の国“にいるお姫様が「ホワイトフィールド」、これに対して橋本さんは「暗野(ブラックフィールド)」という小説を1981年に出します。今は絶版、内容は忘れました。本は実家のどこかにあるでしょう。
そして、「帰って来た桃尻娘」で榊原玲奈は<「ああ、ゼーッタイ、『暗野』の舞台は早稲田なんだ」>と思います。
「帰って来た桃尻娘」は、橋本治が大島弓子になって書いた小説、なのかもしれません