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NICU②|親子三人でおはなし


NICU入るや否や、待合室で聞き慣れたあの “大合唱” が聞こえてくる。

鳴き声の正体は、[GCU]の赤ちゃんたちだった。

◼︎GCU(回復治療室)
NICUで状態が安定してきた赤ちゃんが、引き続き治療を受ける場所です。

はじめてのNICU

微笑ましい光景に夫婦共々笑みがこぼれる。

そして、息子のいる部屋は奥にあるということで、大合唱中の赤ちゃんたちの部屋を通り過ぎ、ついに息子の元へ...


入口付近にある小さな専用のベッドで、息子はスヤスヤと眠っていた。

てっきり「保育器」に入っているものだ思っていたが、そこまでの低体重ではないとのことで、比較的自由に触れたりできる状況だった。


改めて妻が乗る車椅子をベッドの近くまで押し、二人で息子を見つめる。

重度のチアノーゼで “青色” に近かった顔色も、普通の赤ちゃんとほぼ同じようになり、浮腫もかなり引いてきていた。

しかしながら、人工呼吸器、カテーテル、無数の点滴の管が繋がれ、ベッドの周りには、ボンベやモニターが多数設置してあり、文字通り「集中治療」だった。


それでも、生後まもなくの手術も乗り越え、懸命に生きている息子が本当に愛おしかった。

どんな姿であっても「自分の子」は可愛い。


妻には話していたが、正直いうと、性別が「男の子」と判明した段階では、「同性の子を『可愛い』と思えるのか」という不安があった。

しかしながら、あの “激動の日々” を過ごしていく中で、そういった不安は徐々に無くなり、誕生した瞬間からはそのことすら完全に忘れるほど、息子が「可愛い」と心から思っていた。


そして改めて、“拳ほどしかない小さな頭” を撫でながら、夫婦で声をかける。

「お父さん(お母さん)さんだよ〜」
「どんな夢を見てるのかな〜」

こうして話しかけていると、妊娠初期から寝る前に行っていた「三人でおはなし」を思い出す。

これまで、お腹の中に向かって話しかけていたのが、今は本人に向かって直接話しかけている。

感慨深いと共に、何とも言えない不思議な感覚だった。


「胎内でも『言語のリズム』は届く」と聞いたことがあり、私たち両親の声の音程やリズム、周波数なども覚えてくれているといいなと思いながら、この日も沢山 “おはなし” した。


そして、身体にも何度も何度も触れていく。

「2,000gと少し」ということで、やはり全体的に小さいが、身体は温かく、肌もスベスベ。

そして何より息子が「生きている」という実感と “強い生命力” を感じる。


寝顔、時折動く指先やまぶた、寝息… 本当に全ての仕草が、そしてその息子の存在自体が「愛おしい」

みんなが「親バカ」になる理由がわかる。


そして、医療チームから手術後の経過報告のため移動しようかというところで、「医療チームが急患対応のため、面会時間中の対応が厳しい」と連絡が。

ひとまず、息子の容態は安定しており、術後の経過も良好ということは看護師からも聞いてはいたので、報告は明日また改めてしてもらうことにした。


その後も、面会時間内であれば無制限ということで、時間を気にせず息子と触れ合っていたが、定期的に点滴の入れ替えなど処置に入る時がある。

そして処置中、妻と二人で改めて周りを見渡してみたが、そこはやはり “大学病院のNICU” 。

様々な症状を抱えた赤ちゃんがいた。

「500gで誕生した子」
「喉の治療で8ヶ月入院している子」


他にも、症状はわからないが、少なくとも同じ空間に7~8人の子がいた。


本当に「出産は命懸け」

みんなそれぞれにドラマがあり、生命の誕生は本当に “奇跡” なんだと改めて実感した。


そして処置も終わり、看護師から

「NICUでは『成育日記』というものをノートにつけており、それをご両親と一緒に今後の入院生活で共有し合っていければと思いますが、如何でしょうか?」

と尋ねられた。

私たちの面会は最大でも20時までだが、看護師は交代交代で24時間体制で見ており、その時間帯での共有などもノートで行っていければということだった。

私たちにとっても驚きで、喜んでお願いした。
(この日記が後に私たちにとっての “宝物のひとつ” になる)


そうしてこの日の面会は終了。

「息子に会えた喜び」と「未来への期待感」を抱きながら、夫婦でNICUを後にした。


つづく


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